一応「重たい荷物を運んでいます」の図です😁笑


写真とかもそうですけど、貼り絵はその一瞬を捉えるので、この図は貼り替えない限り、重いものを持ち続けています。

ある意味、重いものを持たされて辛そうに見える瞬間で留まっているようにも見えます。


それは一生?永遠に??


なんだか少しかわいそうなことをしたかな?という気になることがあります。


そしてなぜか自分としては居た堪れなく思ったりすることもあり、

そうするとこの先の未来に、

これは重いけど喜んでお宝を運んでるところだな、とか、

美味しいご馳走を運んでいるところだ、とか、

その先の救いの場面を浮かべたりします。


それは誰かに言い訳したいわけでもなく、1ミリも他の方に伝わらなくても良くて、

自分が見たときに救われるためだけにです。


本当、

どんな状況も自分の捉え方次第だなと、この貼り絵からも少し勉強させてもらうのです😌


その反面、ふと、

救いがあれば良いの?救いがなければダメなの?

なんて思い出していって、急に冷静になり、

「これはただ紙を貼り合わせただけだけどねー」

と、視覚的情報を一旦遮断して意味づけることをやめて、一歩引いてその中から外れてみることが出来ると、その問題自体、問題じゃなかったなと、無関心感すら出てきます😅


元も子もないって感じですけど、

結果的には自分が作ったものに少し過保護なのですね😄💦


その考えに行き着くのは、自分の持つ経験や思考であり、奥深く探れば色々あるかと思いますが、浅いところで言えば、私も重いものを持つとすぐに筋肉痛になるので、これずっと持ってたらしんどいし疲れるよなーってところなんですよね()


腕の力がもう少しあって疲れるって思わなければ、そもそもこれが辛そうだなんて思いませんしね。

ダンベルを何十キロも持てる人ならば、その一瞬は栄光の一瞬として、自信がつくものにもなりますからね😊✨


なので、自分の考えることって常に自分の思うところにあるのだなぁと感じる出来事になりました😊


今の反応は今の私が感じたことなので味わっておきたいところですが、

まずは少し腕の力もつけましょうかね😁という気持ちにもなりました♫笑