大野寺 自然壁に現れる宇陀川の対岸に位置する高さ30mの大岩壁に刻まれた弥勒磨崖仏
人が多すぎでお寺には入れなかったです。
 
弥勒如来が崖に現れる姿は毎年表情が変わり続け今も集落を見続けているみたいです。
 
この日は、急に天候悪くなりまた雨で空が撮れなかったです。
 
雲は残念でした。
 
 
弥勒如来が崖に現れる姿は毎年表情が変わり続け今も集落を見続けている。
てます。ます。
 
その人によって見え方が変わるみたいです。
優しい顔をして見える人もいれば険しい顔をして見られてる気がする人もいる。
その人たちはその一年身を引き締めて暮らせよ。て仏様からのメッセージなんだよ
優しい顔をしてくれたら幸せが訪れる。
家族が増える、その一年を大切にしなさい。てメッセージなんだて。
 
 
 

蓮花の上に立った上半身裸の仏様人間よりは、大きいですが龍神様とか 他の神様よりは背は小さいですが 暖かい光に包まれた様な布を巻いた 仏様で目は半開きだったんですが なんで半開きなんだろ(夢でみた姿です)

 
その後 丹生川上神社によりました。。。
 
丹生川上神社に向かう頃には大雨なってたんですが着くと優しい雨に変わって不思議と暖かく感じました。 
鳥居をくぐって挨拶をしてから井戸の御神水を貰うとエネルギーを分けてくれます。
綺麗な河沿いを歩いて東の滝 丹生さまが1番感じるとこに向かうんですが雨が止んでたのに また滝のところでまた降り始めて
オーブが奥の方に(左岩から赤い橋の近く)に飛んで昇っていき風がないのに一つの葉っぱだけが揺れてました。
(夢で我のサインを受け取れ。て言ってたから玉を買って流さずとも我は意思を読み現れるこの河の清らかさが保てる内は。
て言ってました。)
 
 
 
 
 
 
分かりずらいですが 葉っぱ揺れてるのが合図だったみたいです。
 
神様が夢で言ってたのが
 
祈願とは本来はもっと重みのある言葉で誰しもが出来る事ではなかった。
純粋無垢な心の持ち主や特に幼子。
潔白な人間でしか許されぬそして生贄も付きものだったがいつしか人間は変わり果て祈願を軽はずみに口ずさむ様になった。
我らの姿も今の人間にはほぼ感じておらぬが幼い頃には感じる者がまだ今もいるはず。
祈願とは命懸けでする者も昔は多く居たのだ。そして命と引き換えに報われる事も多く大昔は己の願いではなく誰かの為に皆命をかけ祈願をしたのだ。祈願とは願いだけではなく感謝を伝える事も忘れぬな。て
 
仏様からは、
仏様も祈願とはこんなに酷い目に遭ったけどお陰様で無事に帰還いたしましたありがとう。とご神仏にお祈りするのです。そして誰かを恨み,妬めば必ず己に返り成就するのですよ。それはそもそも祈りではないのです。
祈りとは生きとし生きる者の幸せになるもの。言わば人の不幸を願う者はそれは呪いなのです。人を呪わば穴二つ。必ず見返りとし己に返ってくるでしょう今の人にはよく肝に銘じときなさい。て言ってました。
 
去年丹生川上神社から 参拝はじめたので今年は丹生川下神社参拝しました。
今年も↓みたいな写真も撮れるといいです。
 
関東は、もうあまり行ってみたい新し神社がないので自然が残ってるとこに行きたいです。
 
最後まで読んで頂きありがとうございました。