Good evening world.
思えば昔、私の友人は繊細な人が多かった様に思うし、だからこそお互い発作の対応とか相手の状態とかを、気付いて接する・接してくれる人がいるという関係を築いていけていた。
ヤンチャな年頃だった時、睡眠時間を削ってクラブに行ってははっちゃけて、そのまま海に行って焼きながら寝て、そこから夜また仕事なんてこともザラで、身体を(病気を)わざわざぶっ壊していたなと感じる。(若い頃はまだ働けていた。)
でも、
楽しかった思い出なのは間違いない。
それが段々と大人になっていくに連れて周りが結婚・出産と増えて来た時、疑問に思った。
『薬飲んでて妊娠?!出産?!』
自分は中学生からもう精神薬漬けだった為、まっったく妊娠しなくなっていたものだから、それが出来る状態って凄いな、子供の為に断薬出来るのって素晴らしいなと。
(中には断薬してもいないのに健康な赤ちゃんを産んだ人もいる。奇跡。)
それと共に私には無理なことだから、羨ましいなという羨望の眼差しでありちょっと寂しくもなり、自らに対して愕然としたことも本音で。
話が合わなくなっていき、自然と離れ、孤独感に苛まれた時期もあった。
この孤独はずっと付き合って行くものなのだろうと思っていたのだけれど、暫く経つと納得に変わったのである。
それは自分の体調が全然良くならないからだ。
ああ、そうか。
これは成るようになっているんだ、と。
今の私には命を育てて行く力が無いから、これで良かったんだなと思えた時、ふっと力が抜けて楽になれた気がする。
親に孫は見せてあげられないけれど、親はもう諦めていたし。
寂しい思いをさせてしまうのは…と今でも考えるけれど、まあ仕方ないよね!笑
私は自分の命を守ります。
頑張って、生き抜いてみますから。
それが親孝行になるならば、希死念慮に負けず這ってでも親より先には逝かない。
そう、思ってはいます。
話が飛びまくってしまったけれど、そう、昔の友人は今はほぼ繋がっていません。
子供が産まれて少しは会っていたのだけれど、お喋り出来るようになると、私のリストカットの痕が酷過ぎて気になる様で。
これはなぁにー?
という質問が子供から出て来ちゃう。
友人の中でリストカットをしていた人は少ししかいなく、更にはそんなに目立たなかったので。
これは子供に悪影響だな…
と思い、自ら去りました。
ちゃんと説明はして。
友人は気にしないで!!と言ってくれたけれど、私は気にしないことが出来なかった。
言われるのは慣れてる、でも子供には見せたら良くないかなって思っちゃった。
自分の子供なら幾らでも説明の仕方があるけれど、そういう訳にはいかないと思って。
何だか文面が飛び飛びになってしまった。
今日は語りたかったのかな。