【最期の時間④】のつづきです。



   2023年2月1日㈬


もうできる治療は何もなく、 

回復の見込みが完全に閉ざされた夫との

本当に最期の面会の日。

13時の面会のために病院へ無気力


病院に向かうまでの時間、

私は、夫に何を伝えたらいいのか?

何を伝えたいのか?

朦朧とした意識の中で、色々考えていた。

でも結局、何もまとまらないまま

病院に到着してしまう無気力


まず主治医から、現状の説明を受け、

この面会が終われば、

モルヒネ(医療用麻薬)を投与して

だんだんと意識がなくなり、

そして、早ければ今晩遅くにでも

最期を迎える…………と。


息苦しさは相変わらずで、

マスク型の人工呼吸器を使っているが、

耳はふつうに聞こえているので

話しかけてあげてください………と。


私は、勝手に最期の家族4人の時間を

想像していたのだけれど、

病室に入れるのは、一人ずつと言われた。

これもコロナ対策……

もう死んでしまう未来しかない夫を、

コロナから守る意味ってなに?

コロナ対策が、私たちだけの問題でない

ことも、

決まりは決まりでどうしようもないことも、

分かってはいるけれど

とてもモヤモヤした。

最期の最期まで、コロナコロナ……に

振り回されるのか……ネガティブ



✧まず息子が病室へ

 

当時大学3年生で、就職活動真っ只中の

息子は、日頃から父親と、就職活動の話を

よくしていた。

夫は亡くなる前の数年は、人事の仕事を

していたこともあり、色々とアドバイスや

色んな業界の話を、

普段からふたりでしていたようだ。


「この前話していた会社、受けようと思っている。4次面接まであるから、かなりキビシイと思うけど、今はそこしか考えていないから

頑張ろうと思っている!」


そんな話をして、夫も頷いていたようだ。



✧次に娘が病室へ


「パパぁ。覚悟きまったの?」と

泣きながら聞くと、頷いていたらしい。

その瞬間、娘は過呼吸を起こし、

床に崩れ落ち、その先はもうなにも

話せなくなったよう。


お嫁に行くとき、ウェデイングドレスで、

一緒にヴァージンロードを歩いて欲しかった♥

という願いを、

本当は伝えたかったとも言っていたし、

夫も、いつの日かのそんな幸せな瞬間を

幾度となく夢見ていたはずだと思う。


過呼吸を起こし泣いているだけの

娘の手を、強く握ってくれたと

あとで聞いた😭



✧最後に私が病室へ


それまで、待合スペースでも涙が溢れ

自分の今置かれている状況が

どうしても理解もできないまま、

そのときがやってきた。


なんの言葉も持ち合わせてはいなかった。


病室に入ると、夫は、マスク型の人工呼吸器を

外してこちらを見ていた。

その方が顔もよく見えるし、言葉も聞き取り

やすいからなのだと思う。


夫は、もう自分から言葉を発する力は

残っていなかった。


私も、何を伝えたらいいのか、

本当に困り、しばらく言葉が出なかった。


「もっともっと一緒にいたかった。

もっとずっと一緒にいれると思ってた」


「パパは病気のことも、

それによって)会社での立場も、

辛いことばっかりで、

頑張っても頑張っても

思い通りにはならない

人生やったのに、

弱音も吐かずに、家族のために

いつもいつもほんとにありがとうおねがい


「私はいつも自分のことばっかりで、

ダメな奥さんで、本当にごめんなさい悲しい


「私は、パパと出会えてよかった。

楽しいこといっぱいあったし、

いっぱい幸せやったよ飛び出すハート


「私も、いつか向こうに行ったら、

絶対に探してほしい。

絶対に絶対に見つけてほしい泣くうさぎ


…………そんなようなことを、

泣きながら、言葉にならない言葉で

伝え続けたように思う。


夫は、ときどき頷き、

握っていた手を、

最後の力を振り絞って

強く握り返してくれた。

その感触を、今も忘れないように思い返す。


わずか5分、10分……だったとは思うが、

夫はまた苦しくなり、呼吸器をつけることに

なり、

そのタイミングで、私は病室の外へ出た。


ドラマのように、

看護師さんに引き離されても

いや~っ!って泣き叫びながら

その場を離れないという形を取ることも

できたのかもしれない。


気持ちに素直に、

そうできたほうが、もしかしたら

後悔がなかったのかもしれないとも思う。


約32年、ずっとそばで支え続けてくれた

愛する人と、

こんな一瞬で、

別れに区切りをつけることになるなんて……


今もそこを思い出すと、

気が狂いそうな感情に

打ちのめされる。



次、病院からの連絡があったときは

夫と……パパと……

永遠のお別れの瞬間だということは

もうどうやっても避けられない事実。


約10年、

何度も何度も入退院を繰り返し、

私も、数え切れないほど出入りした病院。


こんなふうに

別れのときが来るなんて……


今まさしく、モルヒネを投与され、

夫は、この世とのすべてと引きかえに、

楽になれているのだろうか……。


私たちは、

それぞれの思いを胸に

病院を後にした……泣泣泣泣泣




早ければその日の夜遅くにでも、

病院から電話があるかもしれない中、

このあと私たちは、2箇所ある場所に寄ってから

家に帰ることになる。


つづきます。