2023年1月30日㈪


夫は、マスク型の人工呼吸器を使いながら

苦しい時間が続いていたネガティブ


人工呼吸器をずっと使うことも、

それはそれでしんどいらしく、時々外して

休憩させてもらっている……と。

でもまたすぐに呼吸が苦しくなり、

呼吸器をつけてもらい、

その度に色々数値を測ったり……と

慌ただしい雰囲気が、LINEや時々話せる

電話越しにも伝わってきた。


本当は、LINEや電話をしているような

状況ではなかったはずだと思うけれど、

居ても立ってもいられない

半分狂ったようになっている私のために、

夫はできる限り、連絡を繋げてくれていた。


この日、電話越しに一度だけ

「もうこれ以上苦しいのが続くのなら、

もう(終わりでも)いいかなって思うんや」


そう夫が言った。


長い長い闘病の中で、初めてまともに聞いた

夫の弱音だった気がする。


それだけ、想像を絶する苦しさだったの

だろうな真顔



昼前に主治医から、自宅に電話があり、

「ご主人はかなり苦しまれています。

大きな期待はできないですが、溜まった痰を

取り除くために、内視鏡手術をやってみよう      

と思います」と。


しかし、その後の血液検査などの結果、

数値があまりにもよくなくて、

内視鏡手術に踏み切ることも、その日は

できないと言われた。

翌日、数値を見て決める……と。


またまた

夫にとって苦しい長い夜となる。

違う意味で、

私にとっても耐え難い時間が続く……悲しい





 2023年1月31日㈫


翌日も状況は変わらず、苦しい時間の中でも

夫は、諦めたわけじゃないよ…と言って、

前向きな明るいLINEスタンプを

連打してきてくれたりした。


とても嬉しかった。


私は単純に、そんな元気が出てきたのなら、

持ち直すのではないか?なんて思った。


この3日くらい、まともに眠れず食べれず

フラフラになりながら過ごしていた私は、

なんだか少しだけ気持ちが楽になり、

やっと少しだけソファで眠りについたふとん1


………でも実は、

私がウトウトしている数時間の間に、

夫は、昨日受けられなかった内視鏡手術に

挑んでいたのだった。


夫は、私に明るいLINEを送りながら、

そして「ちょっとは休みや」と言いながら、

自分は、これが最後の手段になるかも

しれないという手術に向けて、

覚悟を決めていたのだった。


2〜3時間眠っただろうか……?

病院からの電話で、ビクッとして目覚めた私は

一瞬にして、現実に引き戻された不安


主治医の声……

「先ほど、痰を取り除く内視鏡手術を

終えました。

ただ、なかなか多くを取り除けない上に、

取った矢先から、またどんどん溜まっていく

状態なので、

おそらく、ご主人が麻酔から冷めたときも、

楽になったという実感はないと思います」


そしてこう言われた。


「もうやれることはすべてやったので、

もうこれ以上、手の施しようはないんです」


「この先、命を繋ぐ方法は、気管切開して

人工呼吸器をつけることになりますが、

それは、もう回復の見込みはなく、ただ

生きているだけの状態になるので、

ご主人は、もうそれは望まれていない……」


「最期は、モルヒネ(医療用麻薬)を投与して、

楽になる方法を望まれています。

個人差はあるけれど、ご主人の場合、

モルヒネを投与したら、

数時間で意識が無くなっていき、

その後数日中に、息を引き取られるか…と」


こんな話をされたと思う。


そのときの私の感情は、

今もどうやってもよく思い出せない赤ちゃんぴえん


そして主治医はこう言った。


「モルヒネを使う前に、最期にご主人と

お会いできる時間を取れるように手配します。

麻酔が完全に冷める明日がいいのでは……と

思います。

それ以上引っ張るのは、苦しい時間を増やす

だけで、命の保証もないので……」



最期の面会の時間は、翌日13時に決まった。


死んでしまう前提での面会……


そんな残酷な時間は想像もできなかった泣くうさぎ


最後に会ってどんな顔をすれば?

なにを話せば?

一体なんのために?


翌日に備えてのその夜、

私はどんな時間を過ごしたんだっけ……


夫は、夜に麻酔が覚めたとき

相変わらずの苦しさを感じ、

自らの最期を悟った絶望の中、

どんな思いで覚悟を決めたのだろう……


泣泣泣泣泣泣泣泣泣泣泣泣泣泣泣