2023年1月29日㈰


入院してすぐから、

主治医に色々厳しい話をされながらも、

私の中では、

いつもの肺炎のように、またよくなって、

退院できるはずだと思っていた。

それなのに、

夫は、人工呼吸器を付けたり外したり

するくらい、急激に悪化していた赤ちゃん泣き


コロナ禍の決まりで、付き添いも一切

できないし、家に居ても何も手につかない

から、とりあえずパートに出ようと、

前日の昼間は思っていたけれど、

こんなに悪化したことを知ったから、

もうそれどころではないな……と。

パート先には、事情を説明して、

しばらく休ませてほしいとお願いした。


病院からは、なにか大きな変化があれば、

電話が来ることになっていた。

この日から、何度か主治医から電話が

かかることがあったのだけれど、

電話が来るということは、

なにかの決断を求められるとき……

それは、さらなる悪化を意味していた赤ちゃん泣き


家の電話がなることが、怖くて怖くて

四六時中怯えていた不安

 

夫は、そもそもは肺アスペルギルス症と

いう病気。

その治療の中で、肺の一部を切除する

大手術を受けていた。

主治医の話によると、

そこにコロナ感染したことで、肺の形が

また変化することになったらしく、

痰が絡みやすくなり、

でも、溜まった痰を自力で出すことが

困難になり、

結果、肺炎につながっていた……。


つまり、元々の持病に、コロナ感染が

大きく影響を及ぼしたのだ。


私たち家族は、細心の注意を払って、

コロナ禍を生きていたのに、

会社で、職場の人からコロナを移される…

…という事態が起こってしまった。


コロナがまん延していたあの頃、

コロナは、誰が罹っても

誰から移っても仕方がないし、

それを非難してはいけない……という風潮が

あった。


でも、正直なところ、

私は、夫の職場のその人を、恨んだ。

無症状ではないのに、

明らか体調がよくないのに

そのまま出勤していたことを知って

しまったから。

それに、このとき、夫がコロナを移されて

いなければ、夫が死んでしまうのは

今ではなかったはずだ……と、

そう主治医にも言われた。


夫が他界して、時間が経った今でも、

このことで、どうしても拭えない思いが、

まだ今もずっとある………赤ちゃんぴえん

そのことは、また改めてどこかの機会に

書きたいと思う。



人工呼吸器を付けたり外したり

しながらの夫と、

家で、気が狂いそうになりながら、

何もする術のない私は、

多くの時間、

LINEのやりとりをしていた。


ほとんど、私の一方的なものでは

あったけれど、

夫も、反応はしてくれたし、

一言二言返してくれた。


この頃の私の精神状態が

どんな感じだったのか?

今になってみれば、もう思い出せない部分も

あるのだけれど、

少しおかしくなっていたと思う悲しい


夫がこの世からいなくなる……なんて

考えられないし、

考えたくもないのに、

どこかそういう日が迫っているという

現実を見据えている自分がいたのかも

しれない泣


ひたすら、幸せだった頃の思い出を

辿っては、

夫に、LINEで伝え続けたりしていた。

あの頃に、戻りたい……と。


一部、夫から送られてきたメッセージを

残したいと思います。


 👨俺は、ママを幸せにしたい。

  なかなかうまくいかへんけど、

  なんとかしたい。

 

 👩どうしても帰ってきてほしい。

  そればかり願ってる。


 👨帰るよ。絶対帰る!!


 👩ひとりにせんといてよ。


 👨心配せんでも俺は治る。

  完璧に元通りじゃなくても、

  働ける状態で帰るから。


 👩ずっと一緒にいたいよ。 

  ひとりにせんといてよ。


 👨もちろんや。


 👩帰ってこれるん?

  また会えるん?


 👨帰るよ。

  また会えるよ。


 👩会いたいよ。


 👨俺も会いたいよ。


今となっては、

その頃の夫の、心の内は分からないけれど、

夫は、苦しみの中でも、

最期まで希望を捨ててはいなかったのだと

思う。

そして、私を…私たち家族を支えないと……

という、愛と責任感に溢れた

とてもとても強い人だったんだな飛び出すハート


 (つづきます)