こんばんは、ひろきです。

 先日、私にとってのマスクの弊害を書きました。口の動きや表情が読めないので困ると…。

 でもこれは一時的なものやないかも…新聞紙上では半々かな、今後の社会生活におけるマスクの役割。

 半分はこれからの感染予防に対するものとしてマスクは必需品であるべき、友達や恋人、仕事のお客様に対しても電話やメール、テレ通信に変わっていくべきやという意見。 もう半分は、年配の方に多い意見ですが、やはり対面で話しをして、仕事では対面の会議の重要性を訴える意見。

 私はもちろん後者の意見です。 今までも仕事では電話をするより現場に走ってお客様に会うことを選択していたので、やっぱりやりにくいです。

 街ゆく人も職場も、友達と呑みに行ってもみんなマスク…なんてクソッタレな生活はゴメンです。

 せっかくある顔の表情を隠されたら気持ちの半分も伝われへんし、伝えられません。表情と言葉、このふたつが「会話」の重要な要素やと思います。 大反対です。

 

 私の愛する仏像たち、仏さまたちはどんなふうに思ってはるでしょうか?

 

 

 これは三十三ヶ所、一乗寺のイケメン地蔵さまたちですが、「超過密」に並んではります。

 この姿を見るかぎり、仏さまたちはソーシャルディスタンスを笑ってはるんでしょうね。

 「マスク越しに、声だけで、お前たちに何がわかるというのか…」っていう感じかな。

 お地蔵様、どうかこんな生活が定着しませんように、お守りください。

 

 今日は短いですが、このへんで。