武禅を終えて1ヶ月経ちました。
日野先生のコメントを読んでいると今だからこそ欲しい言葉が綴られていることに気づきます。
『改めて、日常の普通のこと、当たり前のことに目を向け、真正面から取り組まなければ、本当に自分は人と関われているのか、自分の言葉は相手に届いているのか、相手の言葉を聞けているか等、全く分からないまま一生を終えます。』
武禅に参加するまでコミュニケーションで悩んでいました。今まで誰と過ごしていても多くは居心地の悪さを感じていました。
そして、武禅を終えて『人と関わる』という凄く大切なものが朧げながら掴めました。
しかし喜びも束の間。
普段の生活の中で自分自身と向き合う日々が始まりました。
武禅では本音の言葉が飛び交います。一方で、日常に戻ると誰も本音では話さない。誰も本音で話さないため自分自身の成長やマイナスが見えて来ない。
自分自身を知る事は人を通してしかできない。しかし、本音で話してくれる人は周りにいない。
自分自身の課題を忘れかけていた頃に京都ワークショップで、
「壁がある」
「1人でいるだけ」
「緊張している」
武禅並のきついコメントを頂きました。同時に思い出しました。
武禅の稽古中の自分自身の姿です。
写真の中にいる自分自身を『気持ち悪い』と感じたこと。思い出すと吐き気がします。こんな顔で毎日を過ごしていたのかと思うとショックでならない。人に気持ち悪い顔を晒していたこと。
このままの自分は嫌だ。
明確に意識した瞬間です。
武禅から1ヶ月。
人と関係する、言葉を届ける、言葉を聞く。
どれもまともにできないです。
貴重な変化は、
できないということが分かったこと。
ようやくスタート地点です。
人と関係したい
相手に言葉を届けたい
相手の言葉を聞きたい
全ては欲求次第
もっと成長したいです。