人の生命を助ける、回復させる、
ずっと働いていける…

私は、
中学生の頃から本格的に看護師になろうと思い、
高校は、
数学、生物専攻し、
夏休みも毎日のように学校に行き、
看護学校を目指しました。


高校は、普通科。
なぜか遠くに行きたくて。
だから、余計に友達もいなかった。
楽しい思い出、付き合いのある人なんていない。



看護科は、
30人募集の一クラス。

今は、
看護科は増えてきたけど
その当時は、数えるくらい。

試験日も重なるし、
1次審査、2次審査…、3次審査まであり、狭き門。

それだけ、
命に関わる仕事に就くからだろう…。


私は、希望の
可愛いピンクの建物の学校に合格。
でも、実習制服は水色(笑)

看護学生時代は、
時間が足りないくらい忙しく、
授業、グループワーク、実習…
記録記録に追われる毎日。

学校の先生は、
医師とか看護師で
メインが先生ではない…授業、わけわかんない。

もぅ、
忍耐、努力。

看護学校、
入るのも難しいけど、続けるのも難しい。
試験もよくある。
学生人数、減っていったな…。

っていうか、
誰とも仲良くなかった。
助け合える仲間…いない。

本当、黙々…。


でも、
その時代、コンパ…合コン…(今は聞かないなぁ(笑)) はよくあって
看護学生と医学生、医者
あったあった。
ほとんど、乱交状態(笑)


その時に付き合った人がいて…
家が遠くて、よく通ってくれた。
その時代は、携帯電話なんて無くて
家電のみ。
やっとポケベルが流行りだした時。
でも、
ポケベルなんて数字入力だけ(笑)

会っても緊張しまくりの私…

国家試験ちょっと前に、彼に
他にアプローチされている人がいて
そっちを選ぶから…、と
なぜかあっちが泣いて
さよならされましたよ。
…なんてヤツだ。
(まだ覚えてる(笑))
でも、
家業の農家を継いでいる人
(この話の流れからなのに医者ではない(笑))
だったので、
私は、看護師はできなかったかも…良かった(笑)


それより(笑)…

実習は、
救急、手術室から精神科、老人ホーム…
全ての科を回り、
卒業研究発表に、国家試験対策
本当、勉強の毎日でした。

ちなみに、
私の卒論は、
整形外科で、リハビリからの回復…
のような内容だったと思う…。(←リハビリかよ!)

やっぱり、助ける医療が良かったので、回復期が
好きでした。
小児科は、かわいそうって思いになり気分が⤵⤵になるし、家族との関わりが難しい。
産科は、病人じゃないし、婦人科は女性だけ。
精神科は、医療というよりコミュニケーションが難しい。


大人気の卒論は、
脳神経外科でしたよ。





早く社会人になりたいって思ってた。
でも、
実際になると『学生』って守られてた、まだ気楽でしたね…。

国家試験は、
私の時よりちょっと前は、年に2回あったと。
でも、私の時はもう年に1回。

発表は、3月31日。
入職式は、4月1日。
…翌日。

就職できるかどうか…。
不合格なら就職も無し。

就職先によっては、
看護助手として雇ってくれるところもあったけれど、ほとんどは…終わり。

私は、
高校卒業資格取得してからの
看護無免許で
正看護師の資格を取る学校だったので
国家試験を合格しないと無免許。

看護学校というのは、
看護国家資格取得の資格がもらえる
ところ。

国家資格を取る前に、就職試験も受けて、
私の学校のほとんどの学生は
付属の病院に御礼奉公で就職を決めていましたが、
私は、
地元に帰りたかったので近くの病院に就職を決めました。






人間関係も色々あり過ぎ…。

女の職場、
みんなしっかりしてるから〜・・・キツ過ぎ(笑)




とりあえず、
『続く…』にしようかな…。



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『腸が超活発』
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