こんばんは。

 

まずは自己紹介をさせていただきます。

長くなりますが読んでいただけると幸いです。

 

私は国立大学に通う女子大生です。

 

この数年さまざまな不幸が重なって、自分を見つめ直すことにしたのですが、改めて見つめ直すと自分という存在が何者でもなく、これまで母のいいなりになっていたのだけなのではないかと感じ始めました。

 

三姉妹の真ん中に生まれましたが、上は芯の強いしっかり者、下は芸術家肌の愛されキャラ。どうしても自分と比べてしまいます。

 

母は特に姉(長女)を信頼しており、ひとつ上の姉の真似をするように言います。

高校・大学の進路もそのようにして決定しました。

 

大学に関しては、私には高校一年生の時から行きたい大学(今通っている大学より偏差値が高い国立大学)があり、成績も伴っていました。しかし、進路決定の際に突然反対を受け、金銭的な問題もあるのだろうと諦めました。

 

姉と同じ大学に入ったものの、またしても母に姉と同じ生活を望まれました。

職業までも決められ、逃げ場がありません。

 

さらには私が入部を決めた部活の悪口、バイトに明け暮れる私にバイトを辞めて姉のように友達と遊びなさいと小言を言ったり、、、、。(バイトはやめさせられ、姉と同業の仕事をするよう言われています)

 

私が選んだものには必ず文句を言います。

おみやげに買ったお菓子の文句から私の幼なじみや彼氏の悪口まで。

家族を巻き込んで悪口を言われるので余計に辛かったです。

 

いつからか自分が選んだものに全く自信が持てなくなりました。

自分を見てほしい。肯定してほしい。

小学校の頃から母のケアは私の仕事でした。仕事や両親、父の愚痴を聞きながら母が寝付くまでマッサージをします。

母に認められたかった私にとって、その時間は大変でしたが唯一触れ合える機会だったのです。

機嫌が悪い日は信じられないほど理不尽に怒鳴り散らし、罵り、しまいには物を投げつけてきました。

小学校・中学校時代は家ではいい子だったのですが、外でグレてしまい、周囲の大人にはひどく嫌われていました。

 

死にたい。そう思う日が多くなりました。何度か遺書も書きました。

母に従うしかない自分が悔しくて、辛くて。大嫌いだけど、心の底からは嫌いになりきれず、どうしてよいのかわからなくなっていました。

 

自分の言動が肯定できず、自信がないので見た目ばかり取り繕うとしてしまいます。しかし、心にぽっかり穴が空いた感じがしており、辛い言葉を言われるとその穴がスースーしてどうしようもなく傷付いてしまいます。

人付き合いも不得意で、特定の相手にしか心を開くことができませんが、時たま酷い孤独感・絶望感に襲われます。

 

ここからが本題です。

 

こんなグラグラの精神状態でも、なんとか日々を生きていられのはニーチェの名言に支えられているからです。

 

「たった一度でいい。本当に魂が震えるほどの悦びを味わったのなら、その人生は生きるに値する。」

 

五月の新緑と穏やかな木漏れ日の美しさ。冬の雨上がりに大気圏から吹く透明で清潔な風。

大好きな詩。恩師からの忘れられない言葉。

思い返してみれば、感動は日常に潜んでいます。

 

日々の感動に目を向けて、自分の感性を大切にしてあげる。

これが今私にできる、「自分の愛し方」だと考えています。

 

母を受け入れることはできない。

 

しかし、今生きている自分を受け入れて、執着も後悔も手放すことで、満たされるのではないかと気づきました。

 

今、私は満たされています。