こんにちは。



私はMrs GREEN APPLEのファン

でして

まもなく結成11年を迎える彼らがリリース

している曲で、知らないものはない、

割とコアなファンだと

自分では思ってるんですが



コア,という言葉の解釈はもしかしたら

人によって違うかもですね。



例えば

私はフィギュアスケートについてもコアな

ファンだと自分では思っていて

浅田真央さんや

羽生結弦さんが好きですけれど


情報にはかなり疎く、


てゆーか、一切知らないし、

アイスショーもほぼ行きません。




なんにも知らない



なんにも知らないけど

コアの部分は感じてる


と、自分では思っているわけです。





ミセスについても同じで


ファンクラブアプリから

随時スマホに通知が来る情報を

チェックすることはほぼしません。





私にとって必要な核は

情報ではない





昨年大ヒットしてレコ大も受賞した

ミセスの「ケセラセラ」の歌詞の中で、

私の解釈ですけども、



人の悲劇は

仕方ないくらいの独りよがりである

という一節があります。







「悲劇の図鑑

 私ってそう

 仕方ないほど

 自分よがり」



それって、この歌の主人公の「私」さん

だけの話ではなく


この歌を聴く全ての「私」がそうである


のではないでしょうか。



だって,人1人が一生をかけて

行動できる範囲は物理的に限られていて


その範囲の中で経験できたことを並べて

眺めることで人は成長していくことができて


悲しくも愛おしいその自分の図鑑に

頼って


人は必死に生きてる




人類の歴史も

そーゆーものではないでしょうか。




各々が

それぞれの行動範囲の中で経験した

独りの悲劇も


心を振り絞って歌うその声に涙したことも



世界の歴史の一部です。