「どんなに上手く真似しても……所詮はお人形さんなんだよ!
人形如きに負けてて…ガンダムのパイロットが務まるかぁ!!」


(新機動戦記ガンダムW 第45話「決戦の予感」)





今日は私が愛してやまない声優の1人・
関俊彦さんの誕生日です!

おめでとうございます!




関俊彦さんは1962年6月11日生まれ、双子座のA型。


生まれは宮城県仙台市、育ちは栃木県真岡市で、所属事務所は81プロデュースとなっております。


姉が劇団四季のファンで実家の栃木から新幹線で2時間ほどかけて東京へよく舞台公演を見に行っていた事や部屋にポスターなどが飾られていた事などから役者に興味を持つようになったという関さん。


また、故・野沢那智さんと故・白石冬美さんがラジオパーソナリティを務めたTBSラジオ番組『ナッチャコパック』の投稿リスナーであり、送ったハガキを読んで貰えた事もあったそうです。


高校生の頃(栃木県立真岡高等学校在学中)、ラジオ番組内で野沢さんが主宰する劇団薔薇座の芝居の宣伝を聞いて役者を募集している劇団がある事を知り、中学・高校の6年間は剣道に打ち込むも大学に進学したら剣道とは違う事をやろうと決意します。


『ぴあ』を読んでいたところ、前進座の女優である川路夏子率いるグループ・カオスの研究生募集の記事が載っているのを見て「マンツーマンで指導する」というキャッチフレーズに惹かれ、大学入学と同時に応募します。


ただ、その頃はまだプロになろうという気はなく興味半分でどんなものかというのを見に行く感じだったといい、大学にも演劇研究会はありましたがどうせものを習うんだったら本格的にやりたかったという理由からグループ・カオスに入所します。 


芝居を始めた時はそれがお金になるとは考えていなかったといい、小劇場で年に2回くらい公演をしたりしているうちに芝居が好きになり芝居の講師のツテで大学3年生の時、81プロデュース預かり所属になりました(その時は社長に「舞台でお芝居をしていきます」と話して小劇場に立ちました)。


次第に事務所の事業の中では声優の占める割合が高くなった事で声優としての活動を本格的に始めるようになります(声の仕事で初めてお金をもらった時は台詞を喋って「なんでお金がもらえるの」と戸惑っていたといいます)。


初仕事は駒澤大学経済学部在学中の1983年にラジオドラマで、同年にTVアニメ『太陽の子エステバン』の兵士役で声優デビューを果たしました。


4年後の1987年、OVA『学園特捜ヒカルオン』の四方堂光役とヒカルオン役で初主演を務め、そして同年に『赤い光弾ジリオン』のJJ役でTVアニメ初主演を飾った事を機に知名度を上げ、主人公やメインキャラクターを数多く演じるようになりました。


1990年、ミニアルバム『KICKS ON THE WAY』で東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック)より歌手デビューし、1991年には同じく声優の日髙のり子さんと山寺宏一さんと共にユニット「バナナフリッターズ」を結成、ラジオやCDリリース・舞台などで活動し、 1995年に活動を停止するも21年後の2016年で結成25周年を機に活動を再開しました。


中尾隆聖さんと共に主催する劇団「ドラマティック・カンパニー」での舞台出演及び演出を担当しており、81プロデュース付属養成所大阪校やドラマティック・カンパニーにて後進の育成・指導にもあたっています(しかしドラマティック・カンパニーは中尾さんの高齢により2022年に解散しました)。


その他にも小学館が主催する親子向けの絵本読み聞かせコンサート『おはなし玉手箱』では小林優子さんらと共に毎年数箇所の会場で絵本の朗読を行っています。


 2007年、『仮面ライダー電王』で主人公・野上良太郎/仮面ライダー電王(演:佐藤健)の相棒的存在であるモモタロスの声を担当した事で再び注目を浴び、自身が歌唱を務めた主題歌「Climax Jump DEN-LINER form」はオリコンで第2位にランクインした功績が認められ『電王』の共演者・てらそままさきさんと鈴村健一さん、遊佐浩二さんと共に声優アワードでシナジー賞を受賞しました。


2012年1月8日にとちぎ未来大使に就任し、 2021年2月16日発表の第15回声優アワードにて富山敬賞を受賞しました。





声優の他にも舞台俳優、歌手、演出家などマルチな方面で活躍しているベテラン声優さんです!