今日は私の愛してやまない声優の1人・
浪川大輔さんの誕生日です!
 
おめでとうございます!
 
 
 
 
今更だけど去年放送の『浪川んちに集合な!』
面白かったですねぇ〜…((´∀`*))
 
 
浪川さんのトーク番組といえば
『Aスタジオ+』のナレーションだけど
顔出しの方がもっと面白いなぁとしみじみ
(≧∇≦)
 
 
またやってくれないかなぁ(´・ω・`)
 
 
記念に自身がスピードル役で出演した
『炎神戦隊ゴーオンジャー』の顔出し貼っとこ
(*´ー`)ノ□ペタッ
 
 



 
その話は一旦置いといて、
プロフィールのご紹介を。
 
 
 

浪川大輔さんは1976年4月2日生まれ(実際の誕生日は3月29日ですが学年の関係でずらされ、戸籍上により4月2日となっています)、牡羊座のB型。

 

東京都出身で、所属事務所はステイラック及び同事務所の代表取締役も務めています。

 

1985年、母親の友人である鈴木みえの紹介により劇団こまどりの入団試験を受け、小学2年生の終わり頃で劇団こまどりに所属した浪川さん(引っ込み思案な性格で「はい」としか言えない子供でした)。
 
 アメリカのTVドラマ『白バイ野郎パンチ&ボビー』の子供役の日本語吹き替えでデビューし、『E.T.』の主人公・エリオット役で監督のスティーヴン・スピルバーグに認められた事がきっかけで吹き替えのオファーが増え、その後『ネバーエンディング・ストーリー』や『グーニーズ』など立て続けに人気作に出演しました。
 
アニメでは12歳の時に『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』の主人公・アル(アルフレッド・イズルハ)で初出演かつアニメ初主演を果たしました。
 
アメリカで子供の主人公が流行していた事やこれまで吹き替えにおいて女性声優が演じていた少年役を年齢が近い子役に演じさせようとする時期が重なり、本人は「運がよかった」「タイミングがあった」としており、これらの作品は「もし10年生まれるのが早かったら出られなかった」といい「逆に10年遅かったら『ハリー・ポッター』を演れたかもしれない」と述べています。
 

小学生の頃は吹き替えた自分の声がTVから出ている事を学校で友達にからかわれるためか吹き替えの仕事かつ関係者から怒られるのが嫌だったそうで、スタジオに行くまでにセリフを全部覚えるなど、熱心な仕事ぶりから「天才」と評されました。

 
しかし中学時代から子役の仕事の都合で学校を遅刻・早退するのが嫌だと仕事をサボるようになり、プロデューサーに「なぜ来ないんだ」と言われると「気分が乗らないから」とふてくされた態度を取った結果、たまに来る仕事以外は声優としての仕事がなくなりました。
 
 中学時代は卓球、高校時代は東京都立神代高等学校(自身がレナード・テスタロッサ役で出演したTVアニメ『フルメタル・パニック!』の舞台・都立陣代高校のモデル、出演時には自身の出身校が舞台になっているとは知らずDVD-BOX特典のオーディオコメンタリー収録で初めて知ったと語っています)のハンドボール部の部長を務めました。
 
大学時代には社会人リーグで自分でハンドボールチームを作り将来はスポーツの世界で生きていけたらと思うも試合中に全治1年半のケガを負い断念。
 
大学では心理学を学んでいましたが、専門知識を生かせる就職先は狭き門であり自身も社会で勝負していけることは何かと悩んでいた時期があったそうですが、映画『ロミオ+ジュリエット』がTVで放映された際にレオナルド・ディカプリオの吹き替えを通して改めて声優を志す事を決意しました。

20歳の時にアルバイトを始め「どうせ働くなら普通はなかなかできない、面白い体験ができる方がいいな」と思っていたため、就職するまでの2年間は家庭教師、ピザの配達、ダンボール工場、引っ越しの手伝い、頭脳プレー系から肉体労働系までジャンルを問わず興味のある事は何でもしていたそうです。
 
色々なアルバイトを経験したもう1つの理由が「社会に出る最初の1歩として、とにかくいろんなスキルを身につけておきたい」と思っていた事からバイトの作業は必死になって覚えていたそうで、器用ではなくコツコツ時間をかけて少しずつ作業を習得するタイプでいくつものバイトをしていたところ自分の向き・不向きを知れたといいます。

声優として失った信頼を取り戻すためにかつて自身を起用していた制作会社に増長した態度を取った事を謝罪し、許してくれた少数の会社から仕事を貰えるようになりました。

1999年に東京国際大学福祉心理学科を卒業し、声優の仕事だけでは食べていけない事もあって7年間アパレル関連の会社に勤務します(両親がアパレル関係だったため、元々興味があったそうです)。
 
大学時代に作ったハンドボールチームは30歳くらいまでキャプテンを務めました。
 

 

子供の頃はハイトーンでしたが大人になるにつれて出なくなってしまい、20歳を過ぎた頃には1オクターブと少ししか出ないなど音域が極端に短くなりました。
 
 20歳の頃にOVA『八雲立つ』で共演した関智一さんの地声を聞いて本人は「意外とハスキーボイスなんだな」という印象を持ち、それ以来喉を潰すために酒でうがい、変な煙草の吸い方をする、大声で叫ぶなどあらゆる努力を行います。
 
『ロード・オブ・ザ・リング』の吹き替えをしていた頃には潰した喉を一旦元に戻しており、声質が変わった事からディレクターから「なんだその声。声優として終わりだな」と言われた事もあります。
 

 

そして2001年1月に結婚式を挙げ、2003年には東京俳優生活協同組合(俳協)に移籍します。

2006年2月に岸尾だいすけとのユニット「DD」を結成し(2008年3月活動終了)、友人の野島健児のユニット「BELOVED」にもゲスト参加するなど歌手としても積極的に参加するようになり(歌を歌う事自体は嫌いではありませんでしたが、声がボソボソしてハスキーな事から歌が苦手で音が取れずに仕事を降ろされた事があります)、その後2008年4月に俳協からアクロス エンタテインメントへ移籍しました。
 
そして2010年には第4回声優アワードで助演男優賞を受賞し(『07-GHOST』のミカゲでは主人公の良き友人役として印象を残し、『君に届け』の風早翔太では爽やかな演技で女性ファンを魅了。幼い頃から外画の吹替えで活躍し、幅広い演技で数多くの作品を支えている。また、ラジオなどトークも好評で、男女問わず多くの人から親しまれている」と評されました)、同年に自身が監督を務めた映画『Wonderful World』が公開されました。
 
2010年6月23日発売のミニアルバム『I.D.』でKiramuneから歌手としてのソロデビューを果たし、2014年12月13日にはKiramune内新ユニットとして吉野裕行と「Uncle Bomb」を結成、翌年2015年5月9日にデビューしました。

そして2014年4月1日、より活動の幅を広げたいという思いからアクロス エンタテインメントを円満退社し、個人事務所のステイラックを設立、その後2016年4月より「ステイラック付属養成所Follow-Up」を立ち上げました。
 
 
 
TVアニメだけでなくバラエティ番組にも精力的に出演する大人気声優さんです!