今日は私の愛してやまない声優の1人・
林原めぐみさんの誕生日です!
 
おめでとうございます!


 

林原めぐみさんは1967年3月30日生まれ、牡羊座のO型。

 

東京都北区出身で、所属事務所はウッドパークオフィスとなっております。

 

小さい頃の夢はTVアニメ『キャンディ♡キャンディ』を観て看護婦はいいなと思い、スチュワーデスの作品を観てスチュワーデスはいいなと思っていたという林原さん

小学生の時に映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を鑑賞し、キャラクターを演じる「声優」の存在を初めて意識して以降は声優という職業に関心を持つようになり、同じく小学生の時に行った『銀河鉄道999』関連のイベントで会場に不在だった池田昌子に代わってメーテル役に挑戦し野沢雅子から称賛されました(後年同じ松本零士作品である『クイーン・エメラルダス』への出演が決まった際に感動したと語っています)。

高校時代に進路を決める際に、過去に父親が病気で倒れた事や手に職をつけたいという考えから当初は現実的な道として国家資格を取得して看護婦(現:看護師)になる事を目指していましたが、願書の提出に行った看護学校の受付の憮然とした態度に怒り受験のために自ら戒めていたマンガを本屋で立ち読みしていたところ、アーツビジョンの声優無料養成オーディションの広告を発見し怒りに任せて応募します。

 

約600人からなるオーディションでは成績もさることながらたまたま持っていたミカンを審査員に配った事で「ミカンの子」として強烈なインパクトを残し、アーツビジョン付属日本ナレーション演技研究所の第1期生に特待生の1人として合格し(ただし本人はその事を覚えていません)、「声優を目指すのであれば、看護学校を卒業して正看護婦免許を取得しろ」という両親の条件に従って看護学校と声優養成所を1985年から3年間両立させた結果無事正看護婦免許を取得しました。

そして1986年、看護学校・声優養成所在籍中に『めぞん一刻』第1話の幼稚園児B・近所の女役で声優デビューし(アフレコ作業及びアニメ登場では近所の女役(声のみ)の方が早いですが多くのプロフィールや本人の発言では幼稚園児B役がデビューとされています)、アニメ以外では『めぞん一刻』よりも前に「徳間書店9月の新刊」に関するCMや「横山やすしが出演する番組」のナレーションを担当していたといいます。

 

デビュー以降しばらくは音響監督の斯波重治、声優の先輩である神谷明や千葉繁などの指導を受けながら多くのモブキャラクターに声をあて実力をつけていき、養成所時代の講師でもあった千葉繁については、自身のエッセイ『林原めぐみのぜんぶキャラから教わった 今を生き抜く力』によると「(めぞん一刻のアフレコでは(隣に座らせていただき、アドバイスも受けながら(中略)OKをいただけました」と千葉への感謝を綴っています。

そして1988年、『魔神英雄伝ワタル』の忍部ヒミコ役で自身初のメインキャラクター役を獲得しました(第1話のアフレコ作業が看護学校の卒業式と重なってしまい、新人でありながら抜き録りを行うという出来事もありました)。



また、この時期は他に3本のレギュラーの仕事(『おそ松くん』『燃える!お兄さん』『いきなりダゴン』)が決まっており、それらをこなした空き時間に看護婦として個人病院でアルバイトをこなす生活を送った後、監督や先輩の助言で並行させてきた看護婦のアルバイトを辞めて声優業に専念しました。


1989年、オーディションで天道あかね役を受けていた『らんま1/2』の女らんま役を演じ、1980年代終盤には既に主役級のキャラクターを数多く演じるようになります。

1990年、東京都多摩市にサンリオピューロランドが開園して以降、その他ほとんどの作品でハローキティの4代目声優として担当した他、NHK教育番組『ともだちいっぱい』のソラミや国際花と緑の博覧会の花ずきんちゃんなどマスコットキャラクターの声を多く担当しました(ハローキティの声優である事は自分の口からは発表出来ないらしく、ラジオなどでは「白い猫さんの付き人をしてきました」と言葉を濁しています)。


キティ役は2023年をもって降板となり、その際にはブログにて長年担当していたと公表しました。

1995年には『新世紀エヴァンゲリオン』で綾波レイ役、『スレイヤーズ』で主人公・リナ=インバース役を演じ、特に綾波レイはそれまで活発な役を演じることの多かった本人にとっては異色のキャラクターでもあり大きな話題になりました。

1997年の『ポケットモンスター』ではロケット団のムサシの他数多くのポケモンの声を担当し、ロケット団がバトルに敗北した際の「やな感じ〜!」という台詞をロケット団役の声優3人によるアドリブが決まり文句として採用され定着させました。

1998年3月には自身の誕生日に合わせて入籍し、2日後に行われた自身のラジオ番組「Tokyo Boogie Night」の公開録音にて、結婚行進曲をBGMにして突如ウエディングドレス姿(このウェディングドレスは佐久間レイ、日髙のり子が過去に着用したものを受け継いだものでした)で3歳年下の会社員と結婚した事が発表され、ファンを驚かせました(その模様は4月5日放送回の冒頭で紹介され、改めて視聴者に向けて報告されました)。


そして1999年6月より自らの裁量で仕事を行うため今まで所属していたアーツビジョンを退社し個人事務所のウッドパークオフィスを設立しました。


1999年、『名探偵コナン』の原作者である青山剛昌の弟が『新世紀エヴァンゲリオン』のファンだった事から灰原哀役に抜擢され、2002年10月放送の『世にも奇妙な物語』2002年秋の特別編(フジテレビ系列)の一話、「声を聞かせて」の篠原みゆき役でドラマ初出演を果たしました(但し声のみ)。


2004年1月には自身のラジオ番組で妊娠を発表し、同年6月に女児を出産した事が当時Yahoo! JAPANのニューストピックスや各スポーツ新聞などでも報道されました(出産に際して6月と7月の2か月間は産休し『ポケットモンスター』のムサシ役は親友の平松晶子、ラジオ番組は保志総一朗や日高のり子が代行しました)。

声優としてのキャリアは豊富であり、女性ではローティーンからハイティーンの可愛らしく活発な役、まったく対照的に寡黙で神秘的な役、更にクールな大人の役まで幅広く演じている他、少年役や動物役なども器用にこなし、作品を深く読み込んで「キャラクターの設定や人物像を自分に呼び込む」という役作りから自身を「イタコ声優」と呼んでいます。

将来の夢は「おばあちゃんになったときに、おばあちゃんの声を演じることかな。それまでは1年に1本でもいいから、とにかく、この仕事に関わっていきたいですね」と長く声優の仕事を続けていきたい事をインタビューで答えています。

更に『アニメージュ』で開催されているアニメグランプリ声優部門にて通算12回に渡りグランプリを受賞しました。

声優の他にも歌手としても活動しており、所属するレーベル(キングレコード/スターチャイルドレコード)の関係上本人名義のシングルCDはキングレコードのアニメの主題歌・挿入歌などで発売される事が多く、作品の世界観・キャラクター像をファンに対するメッセージと絡み合わせた作風が特徴な一方、ビクターエンタテインメント(フライングドッグ)・コロムビアミュージックエンタテインメント(現:日本コロムビア)・ポニーキャニオンなど他レーベルから発売された楽曲にはキャラクター名義のキャラクターソングとして楽曲参加に限られています。


楽曲提供者は主に辛島美登里、岡崎律子、有森聡美佐藤英敏、たかはしごう、長谷川智樹、岩本正樹、Vinkの大平勉や矢吹俊郎、添田啓二などがおり、その中でも2000年まで佐藤英敏が関わる事多かったですが、2001年以降はたかはしごうと組んでの活動が多くなりました。

歌手活動の契機となったのはOVA『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で主題歌を担当していた椎名恵の代役としてヒロイン役の林原が初めて歌をイベントで歌う事になり、音域テストを行うためにキングレコードを訪れたところを当時プロデューサーであった大月俊倫(後のキングレコード専務取締役)に歌手としての才能を見出され、林原めぐみ名義の初楽曲「夜明けのShooting Star」(同OVAイメージソング)の製作が決定しました。


その後自身初のシングルCD「約束だよ」(『小さなアヒルの大きな愛の物語 あひるのクワック』OP、ポリドール)、ミニアルバム『PULSE』(ユーメックス/東芝EMI(現:ユニバーサルミュージックLLC)、『らんま1/2』キャラクターソング「November Rain」(ポニーキャニオン)、その他デュエットCDなど様々なレコード会社からの発売を挟みつつ1991年3月5日発売のシングル「虹色のSneaker」でスターチャイルドから事実上の公式デビューを飾り、以降の活躍に繋がる事になります。


元々林原自身が歌手志望ではなかった事や1980年代後半の声優の歌手活動は極めて稀だった事などから歌手活動には非常に消極的であったため、大月プロデューサーの説得を経て本格的に活動を行うようになり、現在では当たり前になった声優とレコード会社との専属契約による本格的な歌手活動は林原によって始まったとも言われています。


1990年代はJ-POPによるメジャーアーティストのCD売上が隆盛を極めていましたが、マイナージャンルでしかなかった声優ソングをランキング上位に次々と送り込んだ事によって後続の声優が積極的な歌手活動を行う契機となりました(「林原は業界内で『声優業界の美空ひばり』と呼ばれている」と奥井雅美が語っていました)。

シングルでは「Give a reason」(『スレイヤーズNEXT』OP)で声優ソロとして史上初の週間TOP10(第9位)にランクインした後に「Northern lights」(『シャーマンキング(2001年版)』後期OP)で週間第3位にランクインし、アルバムでは『SPHERE』で声優ソロとして史上初の週間TOP10(第8位)にランクイン後に『bertemu』で第3位にランクインしました。


かつてはシングル・アルバム双方で史上初かつ最高記録を保持しており、声優として唯一初動売上週間10万枚を越えたシングルである「don't be discouraged」(『スレイヤーズTRY』ED)、アルバム『Irāvatī』の初動売上・累計売上は共に声優のアルバムとして歴代最高記録であり(全CDを通算した売上枚数も未だトップ)、シングル「サクラサク」、アルバム『CHOICE』で共に声優として史上初となる10度目のオリコン週間TOP10入りを果たしました。

CDの他にも着うたフルでは大手着うたサイトであるレコチョクの「アニメ/ゲーム・フル」部門にて「集結の園へ」が2009年の年間1位(総合では67位)となり(2009年5月度に10万ダウンロード(ゴールド認定)、2010年6月度に25万ダウンロード(プラチナ認定)、2015年1月度には声優本人・ソロでは史上初となる50万ダウンロード(ダブル・プラチナ認定)を記録)、続く「集結の運命」で2010年の年間2位を獲得しました(2011年1月度に10万ダウンロード(ゴールド認定)を記録)。


しかし2019年3月、本人の意向によりキングレコードとの専属契約を終了しますが(同年7月に発売された『からくりサーカス オリジナル・サウンドトラック』(ソニー・ミュージック)収録曲(同作挿入歌)の「しろがねの子守唄」でキングレコード以外のレコード会社では28年ぶりに歌手名のクレジットが林原めぐみ本人名義となりました)、2021年3月30日に自身の誕生日で全曲サブスクが解禁されました。


また、自身の冠番組として『林原めぐみのHeartful Station』(略:『HS』、『ラジオ関西で1991年10月5日から2015年3月28日まで放送)、『林原めぐみのTokyo Boogie Night』(略:『TBN』、TBSラジオで1992年4月11日より放送中)のパーソナリティを長年務めており、声優がパーソナリティであるアニラジとしては『mamiのRADIかるコミュニケーション』や『ノン子とのび太のアニメスクランブル』に次ぐ長寿番組です。


『HS』は2010年11月27日放送回、『TBN』は2011年6月26日放送回で共に放送通算1000回を達成し、短期間で終了する番組が多いアニラジは声優が週1回放送の冠番組を2番組(加えて林原の場合、同時進行でもある)で放送1000回を超える例はこれまでに無く、この2番組が初の例となりました。


2001年3月、『TBN』は同時間帯聴取率1位継続という長年の功績を表彰され、TBSラジオよりゴールデンマイク賞を受賞し、その後も人気番組としての存在感を示しました。



初めて『声優アーティスト』という存在を創った大人気ベテラン声優さんです!