今日は私の愛してやまない声優の1人・
岩男潤子さんの誕生日です!

おめでとうございます!

早速プロフィールの紹介を!


岩男潤子さんは1970年2月18日生まれ、水瓶座のAB型。

大分県別府市出身で、所属事務所は岩男潤子オフィスとなっております(声優業以外はZERAPHと業務提携)。


幼少期は周囲の友人、学校の教師から見てとても大人しい性格だった一方、家では兄弟の中で一番明るく、食事の後に家族に歌を聞いてもらうのが好きだったという岩男さん。

物心ついた頃から繰り返し聴いていた『おはなしレコード』を改めて小学5年生の頃に聴き直してみると「声」で演技をしたり歌を歌う仕事がしてみたいと思うようになった事が一番初めに芸能関係の仕事を目指したきっかけだったそうです。

その後少女時代に赤い鳥や松任谷由実などに憧れ、歌手を志すようになります。

13歳の時、雑誌に載っていた『ザ・オーディション』のオーディションで「あなたも歌手になりませんか?」というコピーに惹かれて単身で東京へ移住します。

最終的に『ザ・オーディション』の出演そのものは叶ったものの役柄はエキストラ同然でした。

その後、女性アイドルグループ「セイントフォー」の妹分ユニットである「リトルウィング」として人知れず活動した後にセイントフォーの新メンバーオーディションに合格します。

1986年に正式メンバーとなり、いわお潤名義でデビューを果たしますが、加入時点で解散時期が決まっているなどグループとしての活動が下り坂になっていた事などから解散を待たずに脱退を申し出、脱退後には家族が事務所に多額のレッスン費などを負担していた事を知り、結果を出せなかった歯がゆさから一時的に芸能界への意欲を失います。

その後、明治大学付属中野高等学校(定時制)に通いながら高層ビル街の社員喫茶のウェイトレス、クリーニング店の裏方、アンパンマンショーの司会のお姉さん、新聞配達、事務員・販売員などのアルバイトをしていましたが、人間のドロドロした部分に触れる事になり「同じ苦しい思いをするなら好きなことをやろう」と思い立ってデモテープとプロフィールをレコード会社に送るなど売り込みを始めます(この頃潤名義で石井光三とのデュエット曲『ねぇ、お父さん』(『満開!ピープルテレビ』テーマ曲)のリリースまで結びつく事になります)。

声質に関して「子供っぽい」「生理的に受け付けない人が多いかも」と評されレッスンを重ねていくうちに自信を失ってしまい、また声優に憧れるもアルバイトやレッスンで多忙だったため欠かさず見ているアニメなどはなかったそうです。

高校卒業後は童謡の歌唱やミュージカルの歌のお姉さん役、NHK教育テレビ『はてな・サイエンス』出演などの引き続き芸能活動を続けていましたが、いずれも知名度の向上には繋がらず目標だったソロ名義のシングルは出す事はありませんでした。

ある日、東京駅のキヨスクでのアルバイトで偶々通りがかっていたアイドル時代を知っていたアニメ関係者から「歌える声優を探しているから応募してみては」と勧められ最後のチャンスとして受けたオーディションに合格します。

そして1994年、TVアニメ『モンタナ・ジョーンズ』のメリッサ・ソーン役で声優デビューし、翌年の1995年リリースのシングル『シャッターチャンスの連続』(『モンタナ・ジョーンズ』イメージソング)で念願の歌手ソロデビューを果たしました(この曲は元々井上喜久子が歌う予定でした)。

同年、『らんま1/2』の仮歌の縁から井上喜久子との声優ユニット「おさかなペンギン」を結成し、12月23日には東京・TBSホールで初のソロコンサートを開催します。

1998年2月に作曲家の山本はるきちと結婚しますが、2007年に離婚しました。

1999年1月には自身初のコンサートツアーを行い、翌年の2000年12月ででコンサートツアーファイナルを迎えました。

2001年11月には出身地である別府市の「ONSENツーリズム別府特別観光大使」を委嘱され、2005年にプライベートオフィス「有限会社J.Island」を設立(2014年に株式会社に変更)します。

しかし2008年4月に発病した重度の乳様突起炎、緊急手術し一時活動を休止し、更に2014年12月には気管支炎が悪化し再度活動を休止します(声優としては2015年にTVアニメ『WORKING!!』(第3期)、歌手としては同年9月23日に「谷山浩子・猫森集会2015」でそれぞれ復帰しています)。

2009年からは『国際コントラバスフェスティバル』ジャズ部門最優秀賞のベーシスト、川村竜をプロデューサー・バンマスに迎えて新たなバックバンドと共に活動を行い、2011年10月26日に3年振りとなるフルアルバム「Anison Acoustics」をリリースし、更に2013年1月23日には続編作となる「Anison A to Z」をリリースします。

2014年6月27日に初のフォトエッセイ「voice-声のツバサ-」を発売し、7月23日には12年振りのオリジナルアルバム「voice」をリリースします。

1997年11月に81プロデュースからスターボードへ移籍し、12月をもってスターボードから独立するも2015年7月1日より株式会社蓮(はちす)に移籍、2016年10月21日より再びフリーになりますが翌年の2017年に個人事務所・岩男潤子オフィスを設立し、現在に至っています。

声優アワードでは2022年開催の第16回にて高橋和枝賞を受賞しています。


声優や歌手など、様々な方面で活躍しているペテラン声優さんです!