「そうね。
でもこの技術がなかったら、ママはもう生きてないのよ



今日は私の愛してやまない声優の1人・
能登麻美子さんの誕生日です!

おめでとうございます!




上の名言は誰の名言ですかって?


ふふふっ(´艸`)

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のプロスペラの名言なのです(*´v`)



というわけでプロフィールの紹介に移ります。



能登麻美子さんは1980年2月6日生まれ(音楽プロデューサーの中田ヤスタカと同じ生年月日の同郷人!)、水瓶座のO型。

石川県金沢市出身で、所属事務所は大沢事務所となっております。

小学校低学年までごっこ遊びが好きだった一方、内向的な性格で独り遊びも全然苦にならない子供だったという能登さん(また本を読むことも好きであり、ごっこ遊びは延長線上にある感じだったそうです)。

小学6年生の時に地域密着型の児童劇団に関わっていた学校の教師の誘いで約1年間活動し、当時は内向的な自分自身があまり好きではありませんでしたが児童劇団は「それを何とかできたら」という手段の一つだったと思っていたそうです(内向的でも「みんなの輪の中に入りたい」と思い「自分じゃない違う人になれば何でもできるんじゃないかな」とも思ったそうです)。

1992年で金沢市立馬場小学校を卒業後に金沢市立小将町中学校に進学し、自身と似たタイプの友人が多かったものの決して数は多くなく、2009年時点でも繋がっている友人もいましたが、その頃はとても迷っていた時期だったそうです。

当時は「もっともっと限られた世界の中にいると感じていたんだ」と家庭、仲間に守られていますが、「その世界が私の全てだったと思い込んでいたんだ」と語っており、閉塞感、逃げ場のなさで一つの人間関係が壊れるのがとても怖いと感じていたそうです(そういった悩み事は友人にあまり相談しなかったそうです)。

中学校時代は演劇部で活動し、高校時代では元々花が好きで仲が良かった友人から誘われて華道部にも入っていたそうで、演劇をしたいという気持ちはなくごっこ遊びは完全に終わっており、高校で進路を決めた時には「私は看護士になってホスピスで働くか、小児科に行きたい」と考えていましたが、通っていた高校は上に付属の短期大学の保育科があった事から「保育士さんでもいいな」とも思っていたそうです。

1995年に北陸学院高等学校へ進学、高校3年生の秋頃に能登演劇堂で仲代達矢が主催する無名塾の舞台公演『いのちぼうにふろう物語』を観て「お芝居したい!」と考えるようになり、その後金沢の劇団アンゲルスに参加、両親には「看護師を辞めてやっぱりお芝居がしたい」と話すも「お前は馬鹿か!」と怒られ、話し合いをしていた中で「学校なら東京に行ってもいい」という事になり、金沢から上京し、専門学校に通う事になりました(両親と勉強期間は20歳までと約束していました)。

高校卒業後の1998年に代々木アニメーション学院で1年間通い、授業は1日3時間で「少な過ぎるなぁ」という感じで芝居を観に行ったり、安いワークショップを探したりしていたそうで、他にも地元で関わらせてもらった演劇関係の人物のところで勉強させてもらいに行ったり、他にもドーナツ屋など接客系中心にアルバイトはかなり働いていたそうです。

専門学校卒業後は一番は無名塾に入る事であり、「ダメだったらどこの劇団に行こうかな?」と色々探してところ大沢事務所の先輩だった岩田光央が出演している専門学校スポンサードのラジオ番組に出演した事がきっかけで同事務所に声をかけられ、研究生となります。

本人の中では無名塾、文学座、キャラメルボックスなどの「劇団へ入られたらいいな」と頭は劇団に向いていましたが、話をくれてから「頑張ってみようかな」「またいろんな出会いがあるだろう」と思っていた一方、両親の中では劇団というのが一番理由のわからない世界で彼女がが関わるのが不安だったようで、同事務所のように仕事をきちんとされているところで勉強させてくれる事になったという事から少しは安心できたようだったそうです。

初仕事はCMのナレーションで、当時は研究生後半頃からCMナレーションの仕事を少しずつさせてくれるようになり(「言葉ってなんて魅力的なんだろう」と思うようになったそうです)、その後はとても意識し出して事務所の先輩のナレーションなど色々と注意して聞くようになったそうです(それまでナレーションというものをあまり意識して聞いていませんでしたが、注意して聞くようになり真似などをしていたところ「なんて凄いことなんだろう」と言葉の世界に興味が沸いたそうです)。

「演技をしたい」という思いも当然あったため少しずつアニメの仕事もくれるようになり、1年後に研究生から大沢事務所への所属が正式に決定し、アニメの魅力に熱中していきました。

色々な人物とも出会いもあり、アニメにも出演するようになりという感じで、進んで来たという感じだったそうで、「できないこと、難しいことをとりあえずなんとかしなきゃ」と目の前の事を全力で精一杯やるだけでとても大変だったそうです(初めの頃は毎日てんぱっており、克服するためにひたすら練習するしかなかったそうです)。

2007年4月から放送されたUHFアニメ『桃華月憚』では第21話の脚本を担当し、2011年11月23日にはGloryHeavenより自身初の個人名義シングル「青のキセキ」(他にも自身がパーソナリティを務めるラジオ『能登麻美子・地球NOTE』のOP・EDテーマが収録)で歌手デビューを果たしました(それ以前に同事務所で共演の多い川澄綾子とのコラボ『Scoop!/7 days after』をリリースしています)。

『ウィッチブレイド』のアフレコ現場で童謡『かごめかごめ』を歌った際に怖い歌になってしまい、周囲から「呪われそう」と言われますが同番組の番宣ラジオ『ウィッチブレイディオ』で本人が『かごめかごめ』の1小節を歌ったところ翌週のリスナーからの感想メールの8割を占めるほど反響があり、「能登に童謡を歌わせるコーナー」が誕生する事になりました(その後2022年公開のホラー映画『“それ”がいる森』のCMナレーション冒頭で『森のくまさん』を歌唱しました)。

2018年9月14日、自身がパーソナリティーを務める『能登麻美子 おはなしNOTE』の中で、結婚と妊娠を報告した後に出産しました。



ウィスパーボイスが特徴で、アニメ、ゲームなど様々なジャンルで活躍する大人気声優さんです!