今日は私の愛してやまない声優の1人・
朴璐美さんの誕生日です!

おめでとうございます!

…? 画像は何かって?

東映特撮YouTube Officialで現在配信中の『侍戦隊シンケンジャー』の薄雪役での顔出し出演です(笑)

早速プロフィールの紹介を。

朴璐美さんは1972年1月22日生まれ、水瓶座のAB型。

東京都江戸川区出身で、所属事務所はLAL及び代表を務めています。

元々は在日韓国人として生まれ後に日本に帰化した韓国系日本人です。

子供の頃は体が弱く、肺炎で死にかけたり食事もあまり摂らないにもかかわらず活発に動いて突然倒れる事もあったそうで、この頃のあだ名は「半切りごぼう」と名付けられていたそうです。

体を鍛える事と箱入り娘に育てるため少林寺拳法、水泳、ピアノ、書道、公文、そろばん、油絵など習い事をいくつもこなし、儒教のしきたりで毎週日曜日に祖父母の家を訪ね、学校では日本語、家では日本語と韓国語、祖父母宅では韓国語で過ごす一日で世界が変わる生活は現実感がなく特に祖父母の家に行く事は鬱陶しく感じていたそうです。

家ではだらしないとして流行のファッションをしていると怒られ父とは20歳になるまで敬語で会話しており、中学は地元の公立校では不良になるとの心配から母の意向で私立校・和洋国府台女子高等学校に通い、高校は自分の居場所を求めて韓国の学校へ進学する事を希望するも許されなかったそうです。

元々演劇に興味を持っていたわけではなかったのですが、興味を持つようになったのは高校で演劇部に憧れの先輩がいた事と先輩に誘われた事でした。

両親からは「高校生になったら部活動してもいい」と許しが出たため先輩の言葉に乗って演劇部に入部すると、みんなで作品を作り上げる事が好きになり芝居にのめり込むようになります。

当時は学校の演劇部としての活動はほどほどでしたが地区大会のようなものには出場しており、顧問の教師からもあまり干渉はされず自由奔放にしてもらえたそうです(1年目は役をもらえず照明を担当していました)。

当時は演出にも興味があり、きっかけは芝居の演出も生徒が色々な役割分担をそれぞれに受け持つ形で運営していた事でした。

脚本は色々で当時は人気のあった野田秀樹の作品などを上演しており、野田作品の舞台は観たことは一度もありませんでしたが勝手に自分なりの解釈で舞台を演出していました(短大生になり初めて夢の遊眠社で野田の演出の舞台を観て「オリジナルはこうなっていたんだ」と感激していました)。

高校3年の時に出場した全国高等学校演劇大会の地区大会でミヒャエル・エンデの『モモ』の登場人物を全員女性に改稿して演じていましたが、本番で演じている最中に停電になり上演は中止に。

当時は灰色の女役で丁度舞台に立っていた時に真っ暗になったため「これだけ稽古してきたのに、もう演じられないのか」とものすごくショックを受けており、皆号泣したりパニックを起こしたりとおかしなテンションになっていたそうです。

電源が復旧しもう一度最初から演じられる事になった時には冷静になってしまい灰色の女にしか見えなくなっており、今まで感じた事のない凄く変な感覚を味わったところ演劇の虜になっていたそうです(本人曰く「やはり、どこかで苦しかったのかな」と語っています)。

日常を生きていく上で現実感がなく日本の社会に入り、溶け込もうとしても中々そうもいかず何かしらで必ず自分の中に違和感を感じており、演劇の中でやっと一つになれる実感があったんだそうです。

その頃「自分はもしかしたら精神を病んでしまっているのではないか」と思い母に病院に連れていってもらった事もありましたが、その病院の医師が重度の患者に会わせてくれて「君は病気じゃないよ」と言ってくれたそうです。

大学は今度こそ韓国の学校に行こうとするも当時の韓国は学生運動が盛んで危険だった事もあり、母から日本での受験を勧められます(その時は進路を決める時期で中学高校と女子校だったため「もう女子だけの環境はイヤ!」と思い、エスカレーター式の女子大に進学したくありませんでした。両親は大学進学希望で母はそのままエスカレーター式で大学に進学してくれると思い込んでいたようです)。

芝居の他にもビーズなどで小さくて細かいものを延々と作っている事が好きだったため、「アクセサリーなどを作る人になりたい」と思い専門学校の資料を取り寄せたりしていましたが、両親から「大学進学以外は絶対に認めない、大学に進学しないなんて朴家の恥だ」と言われました(大学進学以外の選択肢は何も考えていませんでした)。

演劇に比重を置いていたせいで受験準備もしていなかった事から友人から聞いた試験科目が国語と実技だけだった桐朋学園芸術短期大学演劇科を受験し、最終的には偶々演劇の大学に行きますがアクセサリー関係の大学を知っており、もし両親が許してくれていたら「今頃は立派なアクセサリーデザイナーになっていた」と語っています。

大学入学後も役者になろうとは思わず卒業後に日本で付いてまわった違和感を「はっきりさせたい」と思い遂に韓国の延世大学校 韓国語学堂に留学しますが、日本で得た内なるものと韓国での擦れ違いから失意のうちに帰国し、1993年に大学時代の劇団仲間の勧めで円演劇研究所に入所(その時に演出家の福沢富夫に出会い、「この人にならすべてを見せられる」と思った事がきっかけでした)、そして2年後の1995年に演劇集団 円の会員に昇格します。

入団後は大手電気量販店で携帯電話販売とスーパーの冷凍商品販売で初めてアルバイトをしており、品切れにするほど天才的に上手かったそうで、それまであれほど反対していた」両親も漸く認めてくれたそうです。

入団から2年後役者を辞めようとしていたところに『ブレンパワード』のオーディションの話が来、マネージャーから「受かるわけないから最後だと思って行って来たら」と言われ軽い気持ちで参加した結果、監督の富野由悠季の目に留まり合格、1998年に同作のカナン・ギモス役で声優デビューを果たしました(当時は年に1回先輩だった橋爪功の別荘で行っている菜の花舞台に富野が見えていたそうです)。

2003年、「第26回アニメグランプリ」にて声優部門賞を受賞、翌年の2004年には「東京国際アニメフェア2004」にて声優賞を受賞しました。

2006年、シングル『ボクたちにあるもの』で歌手デビューし、同年度の「第1回声優アワード」にて『NANA』の大崎ナナ役で記念すべき初の主演女優賞を受賞しました。

2009年に特撮『侍戦隊シンケンジャー』の薄雪役で女優として初出演、更に2013年には第25回東京国際映画祭日本映画・ある視点部門ノミネートの『あかぼし』で実写映画初主演、そして2019年、東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』のマダム・テナルディエ役でミュージカル初出演を飾りました。

2017年11月15日付で22年間在籍した演劇集団 円を退所、芸能・声優事務所LALを設立し、2020年1月22日には同じく声優で俳優の山路和弘と結婚しました。

声優や歌手、女優と多方面で活躍している声優さんです!




朴さんといえば『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリックなのですが、私の中では『デジモンアドベンチャー02』の一条寺賢と『Yes!プリキュア5 GoGo!』のシロップ/甘井シローのイメージが強いです(^^;)

どっちもクールでかっこいいでしょ( *¯ ꒳¯*)

あとキャラソンも好き(*^ω^*)

一条寺賢↓


シロップ/甘井シロー↓





さて皆さんはどの朴さんキャラが好きですか?

コメントで是非教えて下さいね!