今日は私の愛してやまない声優の1人・
小山茉美さんの誕生日です!

おめでとうございます!

早速プロフィールの紹介を。


小山茉美さんは1955年1月19日生まれ、山羊座のA型。

愛知県西尾市出身で、所属事務所は青二プロダクションとなっております。

1歳の時に父親亡くした小山さんは、小学校時代では内気で無口かつ内向的の「どうしようもない子」で通信簿には必ず「消極的すぎる」、「もっと積極的に人と話すように」と書かれており、友達誰1人とも遊ばない暗い子供だったそうです(しかし我は強い子供だったそうです)。

小学4年生の時、叔父に初めて芝居見に連れて行ってもらい、役者の曾祖父が一座を持っていた関係で小さい頃に家の屋根裏に三味線、衣装、かつらといったものが結構あり、兄弟で遊んでたりしていたそうです。

劇団民藝の舞台でこれだけの人前で注目されながらあんな風に喋り、「なんてすばらしい世界なんだろう……」と憧れたのが、役者志望の動機でした。

小学校4年生の夏休みに近所の西尾市岩瀬文庫に通い詰め、『少年少女世界文学全集』全50巻(講談社)を読破し、本人は「それで目覚めたというか、将来は表現する世界を目指そうと意識し始めたんです」と語っています。

西尾市立鶴城中学校、愛知県立西尾高等学校時代は演劇部に所属し、東京都の私立大学の文学部演劇科を目指していましたが当時は学生運動が大変な時代かつ娘を1人上京させるわけにはいけない社会情勢であり、卒業後は劇団シアター・ウィークエンドに所属し、舞台女優として活動していました。

代表の松本喜臣によると「彼女は実はウチを『劇団青俳』と間違えて入ってきたのね。ウチもアラバールとかやってたから」と述懐しています。

1975年にドラマ『キヨコは泣くもんか』でドラマデビューを果たしますが、ある日映像の仕事をしていたら偶々声の仕事をやったらどうかという話があり、『一休さん』の桔梗屋弥生(やよいさん)役で声優デビューを果たしました。

NHK名古屋のラジオで共演した同じく声優の古谷徹と1976年に結婚しますが、僅か7年後の1983年に離婚しました。

また、ニューヨーク市立大学ハンター校に短期留学していた時期もあり、当時は番組を降板しアメリカ合衆国に行った結果、1年かけて地球一周してきたんだそうです。



さて、小山さんといったらアラレやミンキーモモ!という方が多いかと思いますが、個人的には『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』のタリア・グラディスが思い浮かびます!



昔あんな可愛い女の子を演じていた方が、まさか月日が経って女性役もやるようになろうとは…時の流れをしみじみ感じます( ¯꒳¯ )。。。スン
 

 皆さんはどの小山さんキャラが好きですか?

コメントで是非教えて下さいね!