『ひっさーーーーーつ!!!
とーーーうりゅーーーうけーーーん!!!』

↑1988年


↑2020年


今日は私が愛してやまない声優の1人・
田中真弓さんの誕生日です!

おめでとうございます!

早速プロフィールをご紹介しましょう!

田中真弓さんは1955年1月15日生まれ、山羊座のA型。

生まれは東京都渋谷区代々木上原、育ちは杉並区浜田山で所属事務所は青二プロダクションとなっております(以前はテアトル・エコー、NPSテアトル、アーツビジョン、大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)に所属していました)。

夫は同じく声優の柴本浩行さんで、日本芸術専門学校特別講師も務めています。

幼少期から目立ちたがりで歌うのが好きだった事から将来は歌手を志望していたという田中さん。

学生時代には演劇にも打ち込み、学芸祭のクラス公演などで演劇を行ったのがきっかけで舞台女優として身を立てる決意を固めます(小学校時代には「自分には才能があるし、役者は天職だ」と作文にも記しています)。

中学、高校、短期大学時代は演劇部に所属していましたが、当時は娘役が他に多数いた事からお婆さんと少年役が多かったそうです。

中学時代は俳優座が好きで卒業後は桐朋学園芸術短期大学演劇科を志望しており、中学、高校、短期大学時代と受験しましたがいずれも不合格(高校は東京都立杉並高等学校、大学は青山学院女子短期大学に通っていました)。

更に女優としての活動の場を求めて文学座、青年座などに応募するも全て不合格。

落選の理由としては「あなたは背が低いし、小顔で、全てが小作りで舞台栄えしない。妖精や子供など、役柄が限られてしまうから」と告げられ、当時は非常に落ち込んだそうです。

竹内演劇研究所の一期生募集のオーディションも受けましたが田中以外の全員が合格するという結果になった事で(入学金を支払えば入れるという客状態でも活動出来るといった形態の養成所でしたが、惜しくも田中だけが落選したそうです)当時はもう人間やめろと告げられたように感じ、深く落胆したそうです。

そしてフジテレビのアナウンサー試験も応募し最終選考の5名まで残ったものの内定には至らず。

作曲家の鈴木邦彦の下で歌のレッスンを受けていた時期もあり、ある日渋谷にあるバーの前で歌手募集の広告を見つけ、そのバーの歌手として歌う事になります。

後日、バーに来たテアトル・エコーの音響スタッフに「うちの劇団なんか合っているんじゃないかな、チビばっかりですよ」と斡旋され、テアトルの付属養成所の試験を受けた結果合格。

23歳の時に同養成所に入所、短大卒業後はテアトル・エコーに所属する事になりました。

声優として駆け出しの時期だった1978年には女優として田宮二郎の遺作『白い巨塔』の第2回に財前五郎の講義を受ける医学生役と里見医院の看護婦役で出演し、同年に『激走ールーベンカイザー』の高木涼子役で声優デビューを果たしました。

同時期には刑事ドラマ『Gメン'75』の「香港ロケ編」で、件解決に協力する香港の難民少年役をアテレコで演じました。

1980年代には島津冴子とラジオ番組『アニメトピア』に2代目パーソナリティーとして出演(2年後の『さすがの猿飛』でも共演しました)、1983年から1986年に渡り『うる星やつら』で女性でありながら格好も言葉遣いも少年の姿の藤波竜之介役を演じた事で大きく知名度を上げる事になります。

声優や女優だけでなく演劇にも力を入れており、1984年に同じく声優の三ツ矢雄二とプロジェクト・レヴューを設立し、更に2012年には伊倉一恵、竹田えり、高乃麗と共に演劇ユニット「コーネンキーズ」を結成。

声優アワードでは2011年の第5回で「高橋和枝賞」、2013年の第7回では「キッズ・ファミリー賞」をそれぞれ受賞しています。

2017年1月9日に放映された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP』(テレビ朝日)で第6位に入選するなど、子供から大人まで幅広く愛され続けるベテラン声優さんです!




田中さんといったらルフィ!クリリン!と思い浮かぶ方は少なくないと思いますが、私の中では『魔神英雄伝ワタル』の戦部ワタル!





田中さんの少年ボイスはですね…
唯一無二、というか…
"聴いてて安心する"
という感じかな( ・ω・)


他のベテランやレジェンド声優もそうだと思いますが、『この声を聴くと安心感のある』ように感じます(´-`)

あと聴いただけですぐに分かる声も特徴ですよね(*´ω`*)

これからも若い声優だけでなく、ベテランやレジェンドもどんどん起用していって欲しいです!!