私は、母指欠損という障害を持つレモを育てているけれど、自分自身は障害などがない為、当事者本人としての気持ちは想像でしかわかりません。
(もちろん親として、レモに一番近い存在であるから、これから成長していっても気持ちをなるべくわかってあげたいとは思っていますが)


そんな中、Hand&FootのSNSで現在20代の当事者の方の日記を目にしました。
(ブログにこの話を書く許可はご本人からいただいています)

この方は合指症で両手の指が4本です。
ですが、今まで手の事で辛い思いをしたという経験がなく、そしてこれから先も、例えどれだけ酷い言葉を浴びせられようが、全く今の自分から変わらずに生きていける自信を持っているというのです。

それはなぜか?

読み進めていくと、お母様の、この方への接し方がよかったようでした。

お母様が当時のこの方の主治医から、最初の診察で言われたこと。
それは
「この子の手の事をお母様が隠さないようにして下さいね。そうすると将来この子も、人前で自分の手を隠すようになりますから。見た目より、機能する事が一番大事ですよ。」 
だそうです。

お母様もこの方を産んでからしばらくは、この方に対して申し訳ないという気持ちに押し潰されるような毎日を過ごしていたそうですが、その主治医の
教えの通り、手の事を本人にも他人にも一切隠す事なく育てていったそうです。

その結果、この方は小・中学生の時どれだけ手の事を気持ち悪いと言われても、
高校生の時、手のことでアルバイトを断られても、全くネガティブになることなく、今でも全く隠さず、気にすることなくいられるそうです。

そのことについてこの方ご自身も、

"母が、手の事を可哀相なことをした…という気持ちをなくし、その状態で「本人にも」他人にも一切隠さずに育てた事がとても良かった"

"もし母が可哀相な事をした…と思いながら自分を育てていれば、間違いなく私は自分を可哀相な存在だと認識したはずです"

と言っています。


これを読んで、私はふと思い出した詩がありました。

多分レモが生まれる前、上の子の育児をしていた時に私の父から教えてもらったのですが、ドロシー・ロー・ノルトの"子は親の鏡"です。

有名な詩で、知っている方も多いかと思いますが、私は最初この詩を教えられた時、「ふーん、まぁ、そうかもね」くらいにしか思わず、あまり気に留めていませんでした。

でもこの当事者の方の言葉を聞いて、この詩を読むと、まさにその通りなんだなと腑に落ちた気がしました。


今まで私はレモに対して、申し訳ないと思ったり、可哀想だとかネガティブな感情を持ってしまうことも多かった気がします。

でも今後はなるべく前向きに考え、レモの手のことも隠さず、堂々とさせてあげたいなと思いました。
(というか、そう心がけたい笑い泣き)