婆さん2 | 楽しく生きる

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母乳はだんだん出なくなった。

 お嫁さんは一度も ミルクを買ったことがないと言っていたが、 母乳が出ていれば ミルク代はかからなかった。 夜中に起きてしんどい思いを せずに済んだ 。

「 この子は 吸いが強いからよく母乳が出ると思いますよ」 という看護師さんの言葉を 思い出すたびに悲しくなった のは、いつの頃からだっただろう。


娘を出産直後 、前出のパートのおばさんがいそいそとやって来た、  娘に授乳させている姿を写真に撮ったらいいと言って 私のカメラで1枚写真を撮ってくれた。その時は (どうせすぐに 母乳は止まるのに·· )と心の中で思っていた。

その時の パートのおばさんの 言葉に何かを 感じたのか  タオルに吸わすことはなかった。ただ娘は吸いが弱かったので母乳の出は悪く、 長男の時と同様 すぐにミルクになった。

それでも母乳をあげる 幸せな感覚 が残ったことは幸いだった。

もしかしたら、あのパートのおばさんのおかげだったのかもしれない。



婆さんは毎日3時に決まって 家に来た。それまでに私は沐浴の準備をした、 長男も長女も一度も 沐浴させたことがないことに気づいたのは、孫が 生まれてからだった。

婆さんは夫には 「やってみるか」と 言った、だから夫は一度だけ経験した。

なぜあの時「私もやってみたい」と言わなかったのだろうか··

この場面でも後悔が残っている。

婆さんのごつい手は お湯の温度に鈍感になっていた、 長女が茹でダコのようになった時があった、 ちょうどそこへ 義理の姉が子供を連れて やってきた 「お母さん これじゃ熱すぎるじゃない!」と言ってくれた。 私は急いで水を汲んで 桶 に注いだ 。

熱すぎたのはその時だけだったのか 毎回だったのか 記憶にないが、あの時は姉が言ってくれて助かった 。


今では子供たちを 一度でも沐浴したかった··という 思いが残っている。




ばあさんは長男の時は 毎日通ってきた娘の時はさすがに疲れたのか 2週間 泊まった。


長男の時は 布おむつ だったので汚れればそのたびに洗濯をして、寝ている私の枕元を通ってベランダに干しに来た、 洗濯物を貯めておけない人だった。

私は気になって仕方がなかった。

ありがた迷惑とはあのことだと今は思う。






でも 婆さんは私の母乳がよく出るようにとお餅を買ってきてくれた、 鰯のすり身を作って鰯のすり身汁を 作ってくれた、 長男の時も 長女の時も 2週間毎日夕食を作ってくれた 甘辛い 母の味だった 。

私はそれで 婆さんを 許していたのだと思う。