母親との思い出、教えて!
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( 母親大会というと いわさきちひろさんを思い出します。
画像お借りしました。)
地方公務員だった父。
母と妹と私だけでなく、
祖母と一生独身だった叔母も
養っていたから、大変だったと思う。
それで、母は、ミシンがけの内職をしていた。
働き者の母は、納期に間に合わせるために、
朝早くから、夜遅くまで、ミシンを走らせることがあった。
信用されるから、また、無理をたのまれるようになったと思う。
母がミシンがけをしていたのを、私が、夜遅くまで勉強していると
勘違いされました。


よく似た画像お借りしました。
以前にも、ブログに書いたけど、
小学生のころから、母の
「女も、手に職、つけなあかん。」
という、口癖を聞いていた。
それで、私は、教師に
妹は、看護師になったことに影響していると思う。
ミシンが使えるのは、すごい手に職と思っていたけど、
母が思うのは、資格を取って、就職することだったようだ。
決して楽な生活ではなかったと思うけど、
必要なものは、なんでも買ってもらえた。
オルガンを習っていて、次は、ピアノという時、
さすがに、ピアノは、買ってもらえなかった。
(教師を目指した高校卒業時に、買ってもらいましたが・・・)
高校生の時、テレビで、
甲子園球児が、何人もプロフィールに、
「尊敬する人は、両親です。」
と、書かれているのが紹介された。
私は、尊敬する人というのは、
マザーテレサやヘレンケラーという感覚だったので、
両親という答えに驚いた。
でも、結婚して、働きながら子育てするようになって、
わかった。
「尊敬する人は、母です。」
あれ?父は?・・・ごめん(*´艸`*)