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小学校の母校に行ったのが、一番最後かな

それでも、5年経っている。
まだ、小学校に勤めていたときのこと。
「韓国の文化に触れよう」という活動の
小学生の希望者の付き添いをしたときだった。
チマチョゴリやパジチョゴリを着たり、
自分の名前をハングル文字で書いたり、
韓国の昔から伝わる遊びをしたり、
韓国の楽器を演奏したり、
いろいろな体験ができる。
私の母校は、私が卒業してすぐに100周年記念行事をした。
妹は、まだ在学中で、記念の校章をかたどった大きな文鎮を
もらってきたので、羨ましかった。
今年で、創立143周年を迎えた。
私が通っていたころは、まだ、木造校舎が残っていた。
りっぱな木に、小学校の「学」が「學」と表記されていた。
玄関は、古めかしいけど趣があって、気に入っていた。
教師になってからも、度々、出張で訪問することがあった。
市民オリンピックというのがあって、結婚前は、地域の代表で
卓球に参加したこともあった。
その時は、体育館に何度か通って練習した。
それから、体育館や校舎が建て替えられて、
どんどん、思い出の場所がなくなってきた。
玄関は、新しく、明るくなった。
昔のどっしりとした玄関が懐かしく、
もう、母校と感じられなくなった。
実家の母が、一人暮らしをしていたとき、
家の前を通って、登下校する子ども達に、
「おはよう。」とか
「お帰り」とか、よく声をかけていた。
それで、トイレを借りに来る子や、
上がって、お菓子を食べる子も
出てきたようだった。
母の認知症が進んで、私が、実家に通うようになって、
気づいた。
賞味期限の切れたものを食べさせたり、
遅くなって、保護者の方に心配かけたり
してはいけない。
校長さんを知っていることもあり、
連絡させてもらった。
残念ながら、校長さんは出張で、直接お話しできなかったけど、
伝えてもらった。
しばらくは、チャイムを鳴らすことがあったが、
私が、対応している間に、だんだんなくなってきた。
その翌年、教頭さんも知っている方が赴任されたので、
ぜひ、お二人のお顔を見に行こうと思っていたのに、
未だに行けていない。
もう、転勤されただろうなあ。


