おはようございます。皆さんお元気ですか?
私は今日も仕事…先週の21日の祝日から仕事が続いているので、さすがにウンザリ…
でも、締めの業務も終わって、今日は特にやらなければいけないという仕事も無いので、またみんなにバレないようにブログをします(^▽^;)
昨日の記事で鎌倉市の大船に住んでいたと書きましたが、そのことについてもう少し書こうと思います。
高校での野球部の部活も終わり、進学校だったワタシの高校では学年全体の99%くらいの人が進学を選択するため、わたしも特に深く考えぬまま進学を選択しました。
何校か受験をし、落ちてばかりでしたが(;´Д`)ノ三月入試があるということで担任の先生に薦められた学校に合格した為、特に目的もないままその明治学院大学経済学部に行くことにしました。
しかし、大学に通うにはお金が掛かる。私立大というとハンパなくお金が掛かる。
そこで、どこかで見付けてきた新聞奨学生という制度を利用して、大学に通うことにしました。
新聞奨学生というのは、簡単に言うと、学費を新聞社に借りて、大学に通いながら配達・集金など、働くことで毎月の給料から返済していくというようなシステムです。大手新聞社ならどこでもあると思います。私は産経でした。
東京都内は自転車の配達が多いと聞きましたが、私の所属した大船の専売所は原付(スーパーカブ)での配達でした。
しかし、大学に合格したのが3月20日頃で、4月1日がもう入学式だった為、準備が忙しく、まだ原付の免許も持っていませんでしたが、免許を取りに行くヒマもなかったので、とりあえず手続をして大船に引越し、そっちですぐに免許センターに行って免許を取るということになりました。
入学式を済ませ、次の日に免許を取りに行こうとしましたが、住民票を移していなかったためNG…。
きちんと住民票を移し、いざ二俣川の運転免許試験場へ…まぁ原付の免許試験は簡単だと聞いていたので余裕しゃきしゃきです。そして結果は…
落ちましたorz
そして…
次の日もまた落ちましたlllorzlil
そして…
次の日もまた落ちましたllillorzllilil
原付の免許で三回も落ちる人っているんですかね?
もうね、三回も落ちて、ショックとかそういうレベルじゃなかったですよ。今でこそ笑い話ですけど。
だいたい、ワタシが早く自分の配達するコースを覚えないと同じ専売所の他の人がきちんと休みを取れないんです。
だから、原付免許なんてさっさと取って、さっさと配達コースを覚えなきゃいけないのに…
何も知らない土地でまだ5日ほど、頼れる人はいない。孤独で、情けなくて、帰り道は半泣き状態でした・°・(ノД`)・°・
それでも、何とか四回目で免許を取得することができ、また半泣きでした。
そして、その日の晩から早速先輩の後ろに付いて覚えさせられました。大船駅のキヨスクへの配達も含め、大船駅前の商店街、そしてお隣横浜市栄区の住宅街を中心に約230軒ほどの配送コースに5種類ほどの新聞の銘柄をそれぞれ配達するというのを3日で覚えさせられました。
まぁ他の人も早く休みが取りたいですからね…自分が悪いし、覚えられないとか泣き言は言えません(_ _。)
それでも、前の担当者が手書きで作った順路表みたいなものもあるので、なんとか一人で配達もできるようになりました。
でも、業務のなかでも泣きたいことは沢山ありました。原付なんて免許試験に3回も落ちるほど何も知らなかったので、雨の日に道路の白い線の上に乗るとすっころぶなんて…新聞をぶちまけました。マンションの玄関でも雨の日にすっころんで新聞をぶちまけたことがあります。まぁ新聞は雨の日はビニールで巻いているので、ほとんど濡れることもありませんが。
しかし、まだ順路もおぼえて無い頃は、当然どのお宅にどの銘柄を届けるかも覚えてはおらず、専売所で配達順に新聞を並べて出発していました。
マンションの玄関で新聞をぶちまけた時は、まだ一人立ちして一週間ほどで、当然順番どおりに並べた新聞たちはバラバラ…。
半泣きでした。全部ほったらかして逃げ出そうかと思いました。
でも、なんとか冷静さを取り戻して、新聞をマンションのロビーに広げ、順路表を頼りに残りの新聞をもう一度並べ直し、なんとか配達を再開しました。
これをきっかけに、トラブルがあっても何とかなるんだなと吹っ切れるようになりました。
しかし、他にもトラブルはありました。4月末、初めての集金業務に回っているときに、夜、ある配達をしているお宅に集金に行った時、中から物音はするんですがピンポンを鳴らしても反応は無い。おそらくピンポンが電池切れだろうと思い、気付いてもらおうとドアをドンドン叩いていたら、中からおっさんが
「うるせー!!今何時だと思ってんだ!!
金払うから明日からもう新聞を持ってこなくていい!!さっさと帰れ!!!」
と、散々に怒られてしまいました。
初めての集金で起こったトラブルに、動揺するワタシ。そして、そんなワタシの取った行動は…
泣きながら、手紙を書きました(/////)
すげー俺!なんかすげー純情だった!
多分半年くらい続けて慣れてきた頃にそんなトラブルがあったら、あーそうですかってなもんで、言われたとおり配達をやめてたと思います。配達先が一軒減れば、それだけ配達が楽になるから。
だけど、入ったばかりのワタシは、「やばい!専売所に迷惑が掛かっちゃう。どうしようどうしよう」なんていう考えに至ったんですね~。
というわけで、翌日新聞と一緒にその手紙を郵便受けに入れ、その翌日からも通常通り配達を続けました。
そうしたら、翌月の集金の時…
そのお宅には、今度は昼間に伺いました。すると中から奥さんが出てきて、
「この前はどなっちゃったりして、悪かったねー。」
と、謝ってくれたんです!
もちろん、5月のワタシもまだ純情だったので、「いやいやいや、悪いのはコッチですから!こちらこそホントにスミマセンでした!」と、恐縮しきりでした。イイコだったな~、あの頃の俺(´一`)
他にも、配達中にパンクをして、専売所までカブを押して帰って乗り換えてまた配達に行ったり、暴走族にしょっちゅう出くわしたりもしましたが、慣れてきたら、誰もいない夜中に大声で歌を歌いながらの配達はそれなりに楽しかったです。
ガムを噛んで出発したら、配達が終わる頃には溶けてなくなってたりとか(;^_^A
いろーんなことが、全ていい思い出です。
ところで、大学の方はと言うと…
特に目的も無く大学に入りましたが、大学は遊ぶところだと淡く抱いていた幻想は、新聞配達によってもろくも崩れ去り、配達があるからサークルもできず、配達があるから夜遊びにも行かれないので、勉強オンリーの大学にあっという間に嫌になってしまいました。
そして、GW明けくらいにプレステを買ってしまい、いよいよ学校に行かなくなってしまいました。ワルイコだな~、俺(x_x;)
そして、ヒッキーになりました(´・ω・`)
配達以外はほっとんど外に出ないでゲームばっかりしてました。
たまーに高校時代の友人の住んでいる相模大野に遊びに行くことがある程度で、結局大船の町も配達ルート以外はほとんど知らないままでした。
専売所は寮になっていて、全員がそこに住んでいますが、全員が年上でした。良くしてもらっていて、みんなと仲も良かったんですが、やはり年上ということで気も遣うので、やはり配達と夕飯の時間以外はほとんど他の人に会うこともありませんでした。
そうしてホームシック気味になり、毎月の休刊日(当時は毎月第一月曜日だったかな?)の度に、電車で実家に帰ってきてましたσ(^_^;)ポリポリ
ホントはもう大学に行かなくなってすぐに実家に帰りたかったんですが、新聞社に借りた奨学金を返さなければならないので、一年間新聞配達だけは続けました。自分の勝手で選んだ進路で、ダメだったからと言って親に尻を拭いてもらうのも情けないと思っていたので、親からの誘いも断りました。まぁどうせ人手も足りなくて、途中では辞めたくても辞められないだろうってのもあったでしょうが。
そんなこんなで、一年間新聞配達&引きこもりをやって、地元に帰ってきました。
今思えば、せっかく会社のカブがあるんだから、もっといろんなトコに行っとけば良かったな~という感じです。
でも、きっと当時は…病んでいたんですよ(llilill)
あのまま大学に4年間通っていたらどうなっていたんだろうと考えることも以前は良くありましたが、最近は全く無くなりました。
だって帰って来たから今のツマに出会えたんだし、帰って来たからムスメに出会えたんだし、帰って来たからアメブロで皆さんと知り合えたんだし、ね。
今は、今の自分の人生で良かったと思っています。
長文・乱文すみませんでした。
たまには昔話もいいかな…って昨日も昔話じゃねぇか!
っていうのは置いといて(;´▽`A``…そんな時代もあったねと。 by 中島みゆき
でした。
m(_ _ )mペコッ