おはようございます
イライラママを穏やかな優しいママへ導く
【子育ての専門家】
もえです
夏休み長いですね笑
私は毎日子どもと一緒にいます
今、娘は小学2年生ですが
娘の姿を見ていると
当時の自分を思い出すことがよくあります
今日は
私の生い立ちについて
書いていこうと思います
↓↓↓
《5歳の頃*幼少期》
私は父、母、4つ上の兄、5つ下の妹、私の
5人家族
三人兄妹の真ん中長女として
生まれ、育ちました
その頃では珍しく
母が忙しく外で働き
父が家事、育児をする
今で言うほぼワンオペで
私達3兄妹を育ててくれました✨
その頃から
もえちゃん家は変わってる
そう言われていましたが
みんなと違っていいでしょ
と、何でもプラスに考える
人と違うことが大好きな子でした笑
当時
母は仕事が忙しく夜勤もあり
ほとんど休みという休みもなく
幼い頃から保育園に通っていた私は
家に母が居たという記憶が
あまりありませんでした
家に居ても夜勤明けで寝ていて
静かにしないと怒られたり
おもちゃを出しっぱなしにしていて
怒られたりと
いつもイライラ怒っている
母の顔が記憶に残っています💦
当時は仕事が忙しすぎて
帰ってきても『お母さん!お母さん!』
という私の声や
兄とケンカする私達の声
まだ赤ちゃんだった妹の世話で
体が休まらなかったんだと思います💦
母は物音に対して異常なくらい敏感でした💦
でも、小さな私には分からず
大好きなお母さんだけど
いつも怒っててこわい
何でいつも怒ってるんだろう?
としか思えませんでした💦
父は毎日、家事に育児
私達の送り迎えや
妹の世話
不規則な母の仕事に合わせての
お弁当や食事の用意
母とはすれ違いで
会えない時もあり
寂しかった私は
とても優しい父にべったりでした
私は生まれた時から体が大きく
体の成長が早かったのですが
抱っこをよくしてもらったのを覚えています
そのせいでギックリ腰になり、妹はあまり抱っこをしてもらえなかったそうです…今でも言われます💦
身の回りのことは全て
父がしてくれていたので
私にとって父は母のような存在でもあり
お父さんなのか
お母さんなのか分からず
父のことをお母さんと呼んでいた記憶もあります
妹が生まれ
父は座ってご飯を食べる暇もなく
兄は小学生で出るのが早かったので
物心ついた時から
いつも朝ごはんは一人で食べていました
当時
自分でなんでもしたい時期だったのもあり
父の役に立とうと思い
自分のことは自分でするようになり
妹の世話や
お手伝いもするようになりました
そして
しっかりした子
いい子
と呼ばれることが多くなりました
当時の私はそれがとても嬉しかったんです
長くなるので次回に続きます
《潜在意識書き換えセラピー体験》
【期間限定】モニター価格!
6/30〜8/31 まで!
\先着20名様!/
モニター価格は
8月31日までの期間限定です✨
お申し込みはお早めに
↓↓↓
💎詳細、お申し込みはこちらから
必要な人に必要なことが届きますように
一人でも多く幸せな人が増えますように
幸せになっちゃいけない人なんていない
今の状況に気づき
あなたがもっと幸せになれますように
読んでくださり
ありがとうございます