木曜日 残業を 終えて、帰ろうとしていたら


K子の息子から メールが 届きました。


「 急変して 医者から『 今日か、明日 』と 言われました。


     できたら、明日、母に 会いに 来てやってくれませんか。」



うそ、なんで、そんな、急に?!



急ぎ、友人達にも メールで 知らせました。


次々に連絡が 入ります。


  急なことで 


  「私、明日は出張だから行けないよ!」


  「遠いし、こんな急には 行けないよ!」 

  
  「ミドリンゴ! みんなの分、行ってやって!」



しかし、明日の金曜日は 150人規模の セミナーの 開催日です。



このセミナーは 立案から 計画、運営まで 



              数ヶ月かけて すべて私が 行ないました。



しかも、明日は 司会から 進行まで 私が 行ないます。


       ?H3>いくらなんでも 休めないよぉ。


友人との 連絡対応に 追われること30分。


私も どうしていいのか わからず パニック状態。


ハッと 気づくと PM7:00近くに なっている。


とにかく、家に帰ろうと駅に むかい、電車に乗ってから


「そうだッ! このまま、K子に会いに行こう!」

電車を 乗り換え K子の もとに 走りました。


乗ってから 急いで 携帯で 時刻表を 検索しました。


「帰りの電車が なければ あきらめて 引き返そう。」


K子の町は 終点の田舎町。 


電車の本数が 少なく 日中でも 1時間に 2本しかありません。


帰りは PM10:31が 最終電車でした。


しかし これは 乗り継ぎの電車が ないため 家には 帰れません。


その前の電車は PM9:31 これに乗らないと 帰れません。


PM8:35に 駅に着き、タクシーに 飛び乗りました。


病院から 駅までの時間も いれると


病室での 滞在時間は 30分しかありません。



   タクシーの運転手に 


   「30分後に また病院から駅まで お願いします。」と 頼み、


                   病院の中に かけこみました。


「K子、ミドリンゴだよ! わかる?」

 うっすらと 顔には 笑みが

 なにかを 話しかけてくれるけど 酸素マスクの 下で

 ハッハッハッと 激しい息遣い。

 私の耳を K子の口元に 近づけるけど 聴き取れません。

 手を 握っていると 握り返してくれる。

 「K子、新年会は K子の家でやろう って決めたじゃない!」

 K子は 苦しい息の下『 が・ん・ば・る 』って 言いました。

 (血中酸素濃度:78 )

 内心では 

“こんなに 苦しいのに K子、もう、がんばらなくても いいんだよ!” 

                    って思っていました。


 あっと言う間に 30分が経ち、帰る時刻と なってしまいました。

 「K子、明日は 私、どうしても仕事で 来れないよ。

  だけど、あさっての 土曜日なら 

  ずっとそばに 居られるよ。

  あさって来るからね!! いい? わかった?」

  K子は また 『 が・ん・ば・る 』って 言ってくれました。

                            


昨日の金曜日は なんとか 2名の友人が 駆けつけてくれました。


今日は 他の友人とミドリンゴが 行くことになっていました。



       でも 昨夜 


       「今、昏睡状態で 酸素濃度が 60~63です。」


                  と K子の息子からメール。  




そして、今日の 深夜2:45 K子の息子から 電話が あり


 「お母さん、もう息してないみたい。


今から 先生や看護師さん、呼びます。 夜遅くに ごめんなさい。」


 ナースコールを 押す前に 連絡を くれました。

最後は “病院”なるのは 仕方ないわ。

だけど ギリギリまで 家に 居たいな。

痛いのは イヤだな。

それと苦しいのは イヤだ。

眠るように逝きたい。
                 

K子、望み通りの 逝きかた できたよね。

K子、これからも 私達の 仲間だからね!

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