なんて体は正直なんでしょう
でも、すごく怖いことに触れたのに、不安でどうしょうもないということは不思議とありません。
昨日の記事を読まれた方は、なぜ私が夫と離婚しなかったのかと疑問を持たれたかもしれませんね。
あれだけ義親に踏み込まれてしまっている結婚生活では、離婚してもいいレベルだったと思います。
それでも離婚しなかったのは、単純に「離婚をすることが、自分の納得する道ではなかった」からです。
だから私は再構築の道を選びました。
とはいえ、最初はどうしても、夫が変わってくれたらいいのにという思いが強かったです。
夫がもっとしっかりしてくれたらいいのに。
夫が自分の家族との間にきちっと線を引いてくれたらいいのに。
やっぱりそう思わずにはいられませんでした。
でも夫を変えようとしてもますますこじれるだけだと、一緒に暮らしてた頃にすでに思い知っていました。
ならば、私が変わるしかない。
まだ家を飛び出して間もなかった頃の私は、自分が変わることをもっと相手に立ち向かえるくらい強くなることだと勘違いしてました。
まぁ、実際ムリなんですけど^^;
でも自分を変えるということは、強くなって相手を負かすことじゃなく、自分の意思をしっかり持ち、自立することでした。
人の意思よりも、まず自分の意思を大事にする。
すると不思議なことに、次第に夫も私の話に耳を傾けてくれて、私の気持ちを尊重してくれるようになりました。
ほんとに徐々に徐々に、少しずつ。
被害者意識が強い間は、夫のいいところもまるで忘れてしまっていました。
強烈だったところだけ、鮮明にずっと残ってて、
私のために、ひとりで家族に立ち向かってくれてたことなどはすっかり忘れていました。
ダンナならそんなの当たり前って思われるかもしれませんが、ほんとに大変なことだったんです。
なんだかんだ言っても、結局夫は私の味方になってくれる。
今はそう信じています。
私をひどく責めたときのほんとうの気持ちも、今なら理解できるからです。
今はいろいろなものが複雑に絡み合いすぎて難しいけど、
時間がかかっても、私たちの本当の結婚生活を始めるつもりです。
諦めるのは簡単です。義家族への恐れもすぐに手放せて楽になれます。
だけど、つまり、夫と一緒にいたいんでしょうね。
それに今はすごく大きな学びをしてると思います。
というか、バカですね(笑)
飛べそうにないくらい高いハードルを越えてみたいようです。
とりゃー!
いずれにしても、同居での強烈な体験がなければ、今の私はないわけで。
あの頃にはまったく想像もしてなかった未来になっています。
生きてると何が起こるかわかりません。
だからいくらでも希望を持っていいんだと思っています。