私は産後10ヶ月、うちの子がまだ10ヶ月だったころ、
子どもと一週間離れたことがあります。
それは私が望んだことではないし、必死になって抵抗しました。
だけど義家族とは話し合いができる状態ではなく、私が抵抗すればするほど向こうの怒りはどうにもならないくらい膨れ上がっていくようでした。
結局私がその家を離れることでしかその場をおさめることはできなかったんです。
その頃、私はすでにうつ状態になっていたと思います。
日常的な不安と緊張で、生唾を飲み込むようなことがあったり、何度もえづくことがありました。
ご飯が食べられなくなり、体重も落ちていきました。
そんなとき親に助けを求めたのです。
ただ事ではないと思った父がすぐに飛んできてくれて、直接義母に私と子どもを少し実家で休ませてほしいと頼んでくれました。
それが義家族の逆鱗に触れてしまったのです。
子どもは義姉に連れていかれ、私は狂ったように泣き叫びました。
冷静に話をもっていこうとする父に対し、義母と夫はますます激しく怒り、私がおかしいんだと言ってまったく話ができませんでした。
身を裂かれるような気持ちで父に連れ添われ実家に戻るとき、義母が
「あんたが悪い、あんたが変われ」
とあとを追いかけてきてまで言われたことは、今でも忘れられません。
あのときは本当に地獄でした。
実家に戻った一週間、ほとんど記憶がありません。
眠れなくて、すぐに薬がもらえるような心療内科へ車で一時間かけて行ったけど、どんなふうに運転して行って帰ったかまったく覚えてません。
ただ、子どものことが片時も頭から離れず、不安でたまらなくなると、いろんな相談機関へ電話をかけたりしました。
あんなことをする夫や義母たちのことをほんとに恐ろしくて異常だと思っていました。
あの家に子どもを置いてきていなければ、私は2度とあの家には戻らなかったと思います。
子どもを産んだことのある人なら、子どもと無理やり引き裂かれる気持ちがどんなものかわかるはずだし、
自分が子どもだったことがあるなら、いきなり母親と引き離されることがどんなものかわかるはずだと、私はそう思っていました。
だから子どもと母親を引き離してもなんとも感じていないような義母に対して、
信じられない気持ちになったし、それをわかっててやってるのならほんとに許せないと思いました。
だけど、義家族の感覚はそれらと少し違っていたようです。
私と子どもを引き離すことは、まるでワガママな子どもにキツイお仕置きするような、そんな感覚だったんだと思います。
それがなんとなくわかったのは、自分が子どもにイライラして怒ってしまったときです。
子どもは私を困らせようとして、「あれイヤ」と泣き叫ぶわけじゃないのに、
私は勝手に被害者意識にとらわれて、言葉で激しく攻撃してしまったんです。
ちょっと冷静になったときに、「これってまるでイジメじゃん」と思ってゾッとしました。
被害者意識にとらわれてるときって、相手を激しく批判しながら、自分を厳しく批判してるときです。
「なんでママを休ませてくれないの!?」
「なんでママの気持ちをわかってくれないの!?」
大人げないですが、実は子どもに言った言葉そのまんま、自分に向けて言ってるんですね。
自分の心の悲鳴を無視して、自分を休ませてないのは私だし、
休みたいくらい自分で自分を追い詰めてるのをわかってないのも私。
だから、私の都合は関係なく、自分の思う通りにしようとする子どもにすごくイライラしてしまったんです。
義家族から見て、嫁が「つらい、苦しい」と訴えることは、その家のやり方に反発するのと同じことだったようです。
義母は何かあると、「私はすごい苦労をしてきたのよ」と私に言いました。
義母は一見、ずっと実家で暮らしながら実の母親に大事にされながら育ってきたように見えるのですが、
その人生を犠牲にしてまで、母親にすべてを捧げてきた人です。
今思えば、「あんたが変われ」という義母の言葉は、
私は家のために自分を犠牲にしてがんばってきて、この家の人間もみんなそうやってきてるのに、なんであんただけそれに従わないんだ。
という激しい怒りと、苦しい心の叫び。
そして恐れのようだった気もします。
それはとてつもないエネルギーでした。
私が以前夢で見た「鉄のかたまり」が実はこれなんです。
たとえ義家族に苦しい過去があったとしても、もう義母たちの側にはいたいとは思いません。
自分が壊れるからです。
このことを書くだけでも、すごく勇気がいりました。
まだ義家族に対する恐ろしさが根強く残っているからです。
今までも何度かブログに思いを吐き出そうとしましたが、そんなことをしたら何か恐ろしいことが起こるんじゃないかと思って怖くてできませんでした。
だけど、いつまでも恐れに支配されていたくはありません。
恐れを乗り越えていきたいです。
昨日ある方とお話しして、やっぱり時間がかかっても恐れを乗り越えていきたい、そう思いました。
それは義家族にやり返すくらいの強さを持てるようになるということではなくて、
自分を恐れから解放させるためです。
場合によって、自分を安全な場所に置いてあげるのも、「勇気」だと私は思っています。
ひどいDVを受けていると、そこからなかなか抜け出せなくなるというのはよく聞く話です。
恐れは人を支配します。
いじめる人の恐れ、いじめられる人の恐れ。
その世界から飛び出す勇気を持つこと。
それは「逃げ」とはけして違うものだと思います。