親を亡くし、帰る家もないひとりの女の子。
持っているのはひとかけらのパンと、身につけたボロボロの服だけ。
でも女の子は、道で出会った人たちに、少しずつ自分の持ち物をわけあたえます。
そして最後には、寒空のした、食べるものも着るものもすべて失ってしまいます。
このお話を読んで、私は、帰る家がない時点で不安でどうしようもなくなってしまうだろうと思いました。
人の生活に必要不可欠な“衣食住”。
このどれかひとつでも、手放すのはとても勇気のいることだと思います。
明日も生きていくために、安心して心とからだを休め、パワーを補う場所は必要です。
ところが『ほしのぎんか』の女の子は、まずお腹を空かせて今にも倒れそうなおじいさんに、唯一の食料であるパンをあげてしまいます。
ええっ、さいしょにそれをあげちゃうの!?
それがいちばん必要じゃん!(;>_<;)
って思いますよね。
でも女の子は、食べ物を失っても「神さまが守ってくださる」と信じていました。
そして、着ていた服をすべて失ってしまっても、「私のことは神さまが守ってくださる」と信じ抜きます。
人は自分が豊かではないとき、
お金を失うのが怖いとき、
疲れてるのに休めないとき、
孤独でさみしいとき、
自分は不幸だと思うとき、
他人に何かを「与える」ことなんて、なかなかできないものです。
それでも「与えなくてはいけない」となったら、身を削るような思いがします。
私もずっと自分のことはほったらかしで、人に「与えること」ばかり考えて、身をすり減らしながら生きてきました。
不登校になっても、ひきこもりになっても、つねにいい子でいようとしていましたし、
職場でもいい人であろうとし、結婚してからもいい嫁でいなくてはいけないと思っていました。
でも、実際はそうなれるわけでもなくて、それができない自分を責めるしかなかったです。
それくらい、いい人(人の意にかなうような人間)でいないと誰にも認めてもらえないと思い込んでました。
女の子みたいに服を手放すんじゃなく、むしろどんどん着込んでいく状態でしたね。
ウソにウソの重ね着。
しかもだらしなく着こなしてる(笑)
しまいには着ぶくれして、苦しくなってしまいました。
『ほしのぎんか』の女の子は、人に惜しみなく与えていくことで、不安になるどころかますます幸福を感じていきます。
そして、最終的に「生まれてきたそのままの自分」だけが残ります。
それでも女の子にみじめさはありませんでした。
誰にも自分を認めてもらえなくても、そこには揺るぎない神さまへの信頼、
つまりどんなことがあっても私は大丈夫!という自分への信頼があったんだと思います。
そんな女の子を神さまはけして見捨てたりしませんでした。
着るものをすべて失った女の子の上にお星さまが降ってきて、からだに触れると、きれいな洋服に変わったのです
そして土の上に落ちたお星さまは、ピカピカの銀貨になって、拾っても拾っても拾いきれないほどでした。
このお話は、一見「自分を犠牲にしてまで人に尽くしなさい」と言っているようですが、
見栄やプライド、こだわりや執着など、貧しい心を手放すことで、
心の豊かさを得られるということを教えてくれています
あなたがいまここに生きてるだけでいいんだよ。
そのまんまでじゅうぶん愛されてるんだよ。
そんな優しいメッセージが伝わってきます

今年もシロツメクサのかんむりを作りました。
このあと子どもがもって遊んだので、バラバラになっちゃいました^^;