
このお話のことをこれまで何度か書きましたが、
このお話に登場する、メアリとコリン。
二人はもともと、どーにもならないくらいひねくれた子どもでした
愛想がなくて、いつも不機嫌なメアリと、
自分はもう余命いくばくもないと思い込んでて、ちょっとしたことが気に入らなくてすぐカンシャクをおこすコリン。
二人はいとこ同士なのですが、それぞれ違った環境で生まれ育ったにもかかわらず、共通してるところがありました。
それは、親の愛情を受けずに育ったこと。
メアリは両親からほったらかしにされ、
コリンは母親の命とひきかえに生まれてきたことで父親から避けられていました。
そんな親の愛情に縁がなかった子どもたちが、なぜ周囲の人から嫌われてしまうくらいひねくれることになってしまったのでしょうか。
ちなみに、私も、親との関わりが薄く愛情を感じられずに育ったのですが、
ひねくれてましたね~(笑)
そんでもって、人から『素直じゃないね~』と言われると、なんかイラッとしたものです。
だって、私は私なりにマジメにまっすぐ生きていたつもりだったから。
それなのに、そんな自分をひねくれてるって言われるとやっぱり傷つきましたね

でも、まわりからは無理してるっていうのがよくわかっても、当の本人はなかなか気づかないものです。
メアリとコリンも、素直じゃなくかわいげのない子どもになっていることを、自分ではまったく気づいていませんでした。
そんなことを気にするよりも、ただその日を生きる、それが精一杯だったんだろうなと思います。
まわりに人がたくさんいても、やりたいことをやりたいようにできていても、
誰も自分を必要としてくれていない、と感じるとき、
それを認めるのは、とても恐ろしいことです。
不機嫌になったり、わめき散らさなければいけないほど、
くるしかったんだと思います。
子どもで生きるのがつらかったら、大人になることに希望なんて持てるはずありません。
コリンが、自分は大人になるまで生きられない、と思い込んでしまったのも、
大人になることに希望が持てなかったからかもしれません。
じつは私も、ハタチまでは生きられない、と半分本気で思いながら10代を過ごしました。
大人になっても幸せになれると思えなかったし、大人になるのが怖かったです。
一見、ひねくれてると思う子どもの心のなかには、
さみしさ、不安、恐怖、絶望、飢餓感・・
いろんな複雑な思いがあります。
そんな生きづらさのなかで、
まっすぐ自分を生きようとしています。
それがどんなにカッコ悪くても、
すごく惨めだったとしても、
これほどの強さはないんだと思います。
それにわが子を見ていてつくづく思います。
ひねくれたくてひねくれる子なんて誰もいない。
子どもは本来、みんな素直なんです。