小学生のころ、学校で発表するときや、どうしても声を出さなくてはいけない場面だったら、みんなの前でもしゃべることができました。
でも、しゃべったのは、朝、先生が出席を取るときに「はい」って答えただけなんて日もありました。
一日のほとんどを学校で過ごすのに、それだけしゃべらなかったらどうなるか。
自分がとても鈍ってるような感じがして、まるで自分のまわりに薄い膜があって、それを通してみんなを見てるようでした。
そうやって不安を感じないですむように、自分を守っていたのかもしれません。
私は学校で、できるだけ目立ちたくなかった。
みんなの仲間には入れてもらいたかったけど、変な目で見られるのがとても怖かった。
なのに、しょっちゅう忘れ物をして、先生に立たされたのは一度や二度ではなかったし、勉強ができなくて居残りもよくさせられていた。
真面目に授業を受けてるつもりなのに、なぜか勉強ができないし、忘れ物もしないように気をつけてるつもりなのに、完璧にできない。
目立ちたくないのに、逆に目立つようなことばかりしてた気がする。
今思うと、小学生のころは学校へ通うのだけでせいいっぱいだった。
目立たないように、いじめられないように、そればかり気にしてた。
抜けてるところがあったから、それでバランスが取れてたのかなって思う。
今でも時々、頭がひどくぼんやりするときがあって、そんなとき自分が通った小学校を見に行くことがあります。
そばを通るだけだけど、学校を見ると不思議と頭がスッキリします。
つらいことばかりだった小学校。
しゃべれなかったことで寂しい思いや情けない思いをたくさんした。
行きたくないって気持ちも抑え込んで、かなり無理して通ってた。
もし、みんなと普通にしゃべれていたら、学校はもっと楽しいところだったかもしれない。
いい思い出もたくさんできたかもしれない。
私、よく頑張ったなぁ(* ̄ー ̄)
学校を見ると、色んな思いが蘇ってくる。
しんどかったこと。
やりたかったこと。
そして、つらいことのなかにもあったいいこと。
勉強できなくて、忘れ物ばかりしてた、小学生のころの私が、今はいとおしい。
だって、私は六年間、せいいっぱい頑張って学校へ通ったんだと思うから。