こんにちは、都希(つき)です。
昨日たまたま目にした読売新聞に(わが家は新聞を取っていない)
不登校過去最多と見出しが載っていて
思わず見入ってしまいました。
まぁ、それが子どもたちの
自然な反応かもしれんよね・・
と思ったのが率直な感想です。
学校ではほぼ一日中マスクをつけさせられ
給食も黙食
同級生の表情もほとんどわからないままで
関わりもソーシャルディスタンス
その上、自分があまり興味の湧かない勉強でも
一時間近くじっと席に座っていないといけないとなったら
『自分は何のために
学校に行かなくちゃいけないんだろう
』
という気持ちになってしまうのもわかる気がします。
私も不登校経験者ですが
仲良しの友達がいる
好きな子がいる
給食の時間が楽しみ など
何か一つでも
学校へ行くことによって得られる楽しみがあれば
たとえどんなに勉強がおもしろくなくても
先生と合わなくても
結構行けてしまう場所ではあるんです。
今の子どもたちには
学校に行くことで見出だせる楽しみよりも
しんどさのほうが大きいのかなと思います。
記事には、
「欠席が長引くと、授業についていけなくなったり、友達の輪に加われなくなったりして、さらに登校しづらくなる恐れがある」
とありましたが
子どもは楽しみがある場所には自然と行きたくなると思います。
問題は「不登校」ではなく
学校がなぜ子どもたちにとって通いたくない場所になっているのか
根本的なところから考えていかなくてはいけないのではないでしょうか![]()
本来学ぶことは楽しいことであるはずです。
「義務教育」によって
その権利がすべての子どもに与えられているのです。
なのに、実際に子どもが通える学校は
何かがズレています。
子どもが学びたいことを楽しく学ぶ以前に
“勉強に遅れてはいけない”
“集団生活に馴染めないといけない”
という圧力のようなものがあったり
親にも
“子どもが不登校になったら不憫だ”みたいな思い込みがあったり
“一人ひとりの個性が大事”と言いながら
人と違うところがあるだけですぐ発達支援や専門医を勧められ
何か診断名がつかないと学校の支援教室にも入れません。
矛盾だらけで
結局どう考えても子どもたちを「同じ枠の中」に押し込もうとしているのです。
学校とは
本来誰のために作られたもの![]()
学校=“子どもたちにとっての社会”は
未来に期待がどんどん膨らむような
楽しい場所であってほしいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました![]()
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