こんにちは、都希(つき)です。
先日こんな夢を見ました。
まだ父と母、弟たちと暮らしているところに
支援員みたいな人が私に会いに来る夢で
来られた支援員さんを見ると
なぜか小学校のときの先生。
確か音楽の先生だったと思うけど
名前も夢の中で思い出しました。
その先生と父と母と私
小さいテーブルに向かい合うようにして座りました。
ふと父を見ると、非常に不機嫌そうな顔をしており
母は泣いていました。
そのあと私は先生に向かって
『私は今自分ができることをお仕事として頑張っている』
『頑張っていることを認めてほしい!』
と力を込めて言いました。
それを言い切ったあと
私は妙にスッキリしてしまい
もっと何か言わないといけないかなと
いう感じはありながらも
そこで落ち着いてしまう──
そんな夢でした。
なぜ、授業以外特別絡んだことのない小学校のときの先生が?
なぜ、母は泣いていた?
なぜ、私は言いたいことを言ったあとやけにスッキリしてしまったの?
そして、私に支援する人が訪ねてくる
シチュエーションは
不登校や引きこもりだった時期を
思い起こさせるような・・。
謎の多い、印象的な夢で
起きてからも忘れずに覚えていました。
そしてすぐにわかったのは
夢の中で親やまわりの大人に
面と向かってぶつけたものは
“怒り”だと思いました。
そのあと、その夢を見る前に
毎日自分のために引くカードに
「夢」というカードが出たことを思い出し・・
これは「もっと夢に意識を向けなさい」という意味のカードですが、
私の顎関節症の原因にもなってると思われるのも“怒り“──
『あっ、これだ!』と思って、ハッとしました。
子どものころに
まわりの人たちに理解して
受け入れてほしかった自分は
自分でも受け入れられず
ずっと否定してきた自分でもあります。
そんな否定されてきた怒りを
夢の中で私が私に伝えたかったんだと
気づきました。
怒りはまず自分自身に対する怒り
だから夢の中で親たちの反応関係なく
スッキリしたのかなと
ちなみに、不機嫌な父は「受け入れ難いもの」
泣いてる母は「哀れみや失望」
先生は「支えを必要としている状態」
と私なりに解釈してみました。
以前から度々書いていますが
私は繊細な気質から
子どもの頃に緘黙(かんもく)があり
しゃべりたくてもしゃべれない苦しさを
誰にもわかってもらえず
また私自身も
本当はしゃべれるのにしゃべれない自分が
ずっと嫌いで
受け入れられなくて
そんな自分をダメだダメだと思いながら
生きてきました。
自分を否定し続けることで
自分に対する怒りも
溜まっていったと思います。
今ではうまくしゃべれない自分も
落ち込むことはあっても
許せるようになったと思っていたのに
まだ心の奥にこんな怒りがあったなんて
気づきませんでした。
このことに気づいてから
私にも少し変化があり
普段、無意識に
アゴにとても力を入れていることに気づいたり
以前より自分に安心を感じられるようになっています。
たとえば、お店で注文するときに
迷ってテンパってしまっても
そんな自分をあとで恥ずかしいと思ったり
責めるような気持ちになることもなく
それどころか、店員さんの丁寧な対応や
優しい心遣いを
素直に嬉しく感じられて。
自分に対する許容範囲が広がったというか
自分の人生を
「主人公で生きてる感」が
前よりもはっきり感じられるようになっています。
気づいたことで
自分自身への“厳しい目”を
また一つ手放せたのかなという気がします。
(まだまだ掘れば出てくるかもだけど
)
久しぶりに長々と書いてしまいましたが
今回、無意識に自分を縛っている怒りに気づくこと
否定してきた自分の怒りに気づくこと
「気づき」の大切さを
また身を持って感じることのできた出来事でした。
あれからアゴも
心なしか前より開くようになってる気がします。
もちろん、『気長に治していきましょう』と励ましてくださる
歯医者さんの支えもあってこそですが
リベンジ、スクラッチアート!
自分のこともまわりのことも
優しい目で見れる心でいたいですね
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