先程の日記の若干余談なのですが、僕一個人になった時の自分と碇シンジくんと言うのを書ければなぁと。アニメ・漫画共に。

先程も書きましたが、碇シンジくんと言うキャラクターは、初めて出会ったのは漫画なのですが、その漫画の回が進むに連れてどんどんダークな方向に行ったのですが、その点ではアニメも同じなのですが、ここまで…特に心の病みが悪化してから読んだ・見た作品の主人公で、ここまで感情移入出来るキャラクターは未だかつて見たことがないんですよ。

悪い言い方をするなれば、それだけ暗いキャラクターだとも言えるのですが、自分がそうだからかも知れないのですが、人と話す時に、遠慮して話してしまったり、心の深い部分を開けない気持ちとか、それが強く分かって…。

それが『エヴァンゲリオン』にハマッたきっかけです。

多分、日本中どこを探しても、本当の意味でここまで根暗なMCって中々いませんよ。やっている音楽はキャッチーであったりするわけですけど、書いている内容が「…」だったり。

後、シンジくんの場合は常に音楽を聴いていますよね?それは新劇場版でもそうですけど。必ず一人になると音楽を聴く。

その行為が全く自分と同じなんです。それはみんな当たり前にやってることかも知れませんが、一人きりになった時、365日、常に音楽を聴いています。

音楽を聴くか?ラジオを聴くか?ですけど、大体は音楽。違うのはずっと同じ曲をループしていない(する時が多いけど)位であって、それ以外は大体同じ。

これは完全な推測ですけど、周りと壁を作る意味合いや、リラックスしたい気持ちが強いのかなって。自分がそうだからと言って、それが当てはまるかどうかはわかりませんが、僕の場合は、音楽を楽しむ目的もあるけれども、周りと壁を作る…周りの聴きたくないノイズをカットする意味合いも強いです。

そうしないと、気が狂いそうだから。後は、何も考えなくて済むからです。

Twitterもやってるっちゃやってますけど、どうしても、蔵人だったり、雨宮だったりで呟いているので、音楽家として思うことや、ふざけたことだったりを呟いています。

駄文日記が近いと言えば近いですけれども、やはり蔵人だったりする要素が強いのですが、それでも素の自分と近い要素はあります。これを書くと、「何こいつ?」と思われるのは分かったうえで書きますが、「信一」としてまた別のキャラクターがいるわけで、その要素が強いです。

多分、素の自分を見たことがある人は断言します。絶対にいないです。「信一」はあっても素の自分は一人の時じゃないと出せないし、なおかつ、自分の部屋だったり周りと壁を作った時じゃないと出せない。本当に、素の自分を出した時に嫌われるのが怖くて。まぁ、嫌われ者ですけど(苦笑)。

話を戻しますと、こんなに共感できるキャラクターは今まで見たことがないのです。

だから、新劇場版であんなにカッコよくなっていて、嬉しかった。まるで、自分のことのように。

別に、シンジくん程考えられる力があるか?と言うと、ありませんが、根底にある部分は凄い近いです。

それでアニメのテレビ版での最終話で、シンジくんの中で、何かを悟った瞬間が凄い涙が流れたのを深く記憶しています。

旧劇場版は考えさせられました。「やはり人と人って理解しあえないのかな…」と。さすがに、目の前に寝てる人がいるのにあれは出来ませんが(苦笑)。

ですが、シンジくんの本当の部分…心の奥底を見えた気がして、これもこれで嬉しかったです。

漫画版では、また違った形で段々勇敢になって行く姿を見て、これもこれで自分のことのように嬉しかったです。

シンジくんに関して言えば、こんなに自分にそっくりなキャラクターはいないです。後にも先にも。

本当に、出会えてよかったキャラクターですし、出会えてよかった作品です。

さて…Qでどんな感じになっているのか…。気になりますが、また成長している姿を見れたら本当にお世辞抜きに嬉しい。

また感想なども、ここで書かせて頂きます。