よく、僕が作る音楽が「Old Skool」と言われることがありますが、それは強ち間違ってはいないけれども、僕としては、正しくは「Old Skoolに戻ろう」と言う意味合いが強かったりします。
今の時代になってもターンテーブル2枚使いのライブをやったりするのと同じように、それが僕の作るバックトラックに現れていたりするのかも知れません。
歌詞の内容は時間が経過すれば経過するほど考え方が変わったりですとか、「もっと日本語に拘らなくては」とも考えるようにもなって来ましたし、何かメッセージ性が強い物であって欲しい。
それは抽象的でも、ストレートな物でも、聴いている方にスポスポン聴いて頂けるように。
韻は意識しない時もあれば、韻を重視している時もあったり…。
両方試みてみたのが『希望-Pray for Japan-』だったりします。
その当時、RhymesterのMummy-Dさんのインタビューで「あえて韻は踏まない手法を試みてみた」と言う話や「韻よりも言葉」と言う話に影響を受けまして。
今は「韻を踏むべき曲」と「韻よりも言葉を重視する曲」と分けて考えているのですが、最近書いた曲…『Guess Who's Back』は「初心を取り戻すためには何が必要か」と考えた時に「自虐をギャグにしつつシリアスに聴こえさせる事と、若干言葉を詰め込み韻を小刻みにでもいいし固くでもいいからしっかり踏むこと」だと思い、あの歌詞が出来上がりました。
他にも『夢と現実の僕の世界』は韻もちゃんと踏んでるんだけれども、フロウが変則的と言うか「雲のように変幻自在なフロウ」と言うのを試してみたかったんです。それがあの曲で顕著に現れています。
勿論、他の曲で手を抜くと言うことはしません。例えば『Beat NatureのテーマPt.2』なども韻はしっかり踏んでいるし、フロウを変則的にしてみたりしています。
僕の場合は、才能がない以上、天才達に勝てる気はしないけれども、負けず嫌いな所がありますから、誰もやった事のない手法などを取り入れたり…それがMASTER MIC TRIBEの『King of Pop
』で3連譜で行くように思わせて急に倍速になったり、表のリズムと裏のリズムをごちゃ混ぜにしたり、工夫しながら、それでいて、ちゃんと聴き取って頂けるかが課題になっていました。
『Guess Who's Back』でもBPMが120以上あるのに「昔の自分に出来て今出来ないのは悔しい」と言う思いから倍速を取り入れたり。
歌詞の内容にも勿論拘りはありますけれども、自分のラップフロウは凄い意識している。
他の人が絶対にやらないと言いますか、抑揚を激しくしてみたり、感情を激しく入れてみたり…。まだまだですけれど、天才に勝つ手段は今のところ、努力しかないかな?って。
昔から「ラップが下手糞」とは何度も言われてきたし、「才能がない」と言われて来ました。だからこそ、自分独自のフロウを編み出すのに必死だったんです。今も、まだ「自分とは何者か?」と考えながら、フロウを模索しています。
せっかく、3オークターブ半出るんだったら、「そこを活かさないでどうする?」とも思いますし。
HipHopに入るきっかけになったのは『This is my HipHop』でも歌っていますが、友達から聴かされたMCハマーで「これカッコいい」とは思ったけれども「自分もやろう」とは思わなかったんですけど、RUNDMCを聴かされた時に「自分もやりたい」と思い立つはいいけれども、残念ながら「日本語でラップは無理だろう」と言う固定概念があったのも確か。
そこに風穴を開けてくれたのがDragon Ashの『Greatfull Dayz』だったりDA PUMPの『if...』であったり…。その時に「日本語でラップをすることは出来るんだ!」と理解して、必死に模倣しようとしたんですけど、語呂の合わせ方が分からなかったり、韻の踏み方が分からなかったり…。
そんな時にZEEBRAさんが『笑っていいとも』に出た時に「韻の踏み方はこうやって…」と説明をしていてそこから「あぁなるほど!」と思って、韻を踏むようになったりしましたし、所謂ジャパニーズHipHopや日本語ラップを掘り下げるようになったりもして。
ですが、僕がラップを始めた当時…高校1年生だったのですが、初ライブが学校の…また特殊な学校でライブハウスがある学校だったのですが、そこで出演した際に自分でも歌っていますがマイクのヴォリュームがどんどん下げられて…。
それから悔しくなって、自分でバックトラックも作れるようになったり、歌詞の書き方も覚えて、再び高校2年生の頃、ライブをしたら上手く行って、それから地元のライブハウスでやりつつも、銀座DEPTHで開催されていたCARVINEに初めて出演したり。
なるべく思い出したくないですけど(苦笑)。
その当時はもっとハードな感じだったのですが極最初期に作っていたトラックと言うのは結構「Old Skool」な感じではありました。
ベースとドラムしかなかったり…。RUNDMCが好きだったのも手伝ってRockの要素が混じっていたり、後、LL cool Jの初期の作品が凄い好きで、それに影響されたりもしました。特に『Mamma Saide Knock You Out』だったり、今でもクラブで流している『Rock The Bell』だったり。
しかし、段々ハードじゃなくちゃいけない気がしてきて…。聴いている音楽も変わってきたりとか…。
そこで、Rhymesterの「ウワサの伴奏」を聴いた時に「!?」となり「自分が理想としていたHipHopを日本人でやっている人がいる」と気付いた時は目から鱗でした。
直接的な現在のSound Productionに影響を与えたのはRhymesterだったり、洋楽で言えばDe La SOULだったりします。
今になる直接的なきっかけをくれたのはM∀LIだったりします。多分、一生かかっても勝てない。お世辞に抜きに。
嫌味でも何でもなくM∀LIは才能があるし、それでいて凄い努力をする人。だからこそ、僕の中で「無敵の音楽家」であると思うんです。
昔…M∀LIがBUSTA STUDENT☆に入ってから作ってもらったトラックで『Back in the dayz』を聴かせてもらった時は、「グッ」と来たものがありました。
あれは先に歌詞が出来ていて、その後にトラックが出来たのですが、M∀LIもサンプリング的な手法は初めてだったと思うのですが、余裕でやってのけて…。文句のつけ所がない作品を届けてくれました。
他にもDJ TUNEやPremierなどの影響も受けつつ、RUNDMCやリックルービンの影響は強く受けましたし、今のタイミングで言うと誰も信じてくれないのですが、Beastie Boysの影響も強く受けてます。
それはBUSTA STUDENT☆が僕と、BOTTLEと、M∀LIの3人組になってから僕の作るトラックと言うよりも、パフォーマンスに出てると思います。
あの当時、聴いて衝撃を受けたのもそうですし、何よりもMTVでサマーソニックの特集がやってた頃にあのライブ映像を見た瞬間に「こんなやり方してもいいんだ!」と強く感銘を受けたのを覚えていますし、だからこそ、BUSTA STUDENT☆は、3人になってから余計に軸がぶれることなく、それでいて、それぞれ3人が3人個性のあるトラックを作ることが出来たんだなぁと。
多分、今、BUSTA STUDENT☆を再結成しても、あの時と同じパフォーマンスが出来ると思います。
それがいいか悪いかは別問題として、多分、軸はあの頃とぶれてない。
ある意味で本当に「バンド」だったんだなぁって。時々喧嘩もしたけど、不仲で解散したわけではないので…。
他にも、現在はまた1MCに戻ってる訳ですけど、パフォーマンスで衝撃を受けたのは…と言うか、ラッパーのライブ映像を初めて見たのは日本人なんですけど、YOU THE ROCK★さん。その影響は、未だに色濃く出てます。
だから、自分の今の音楽に影響を与えた人々を数え上げるとキリがありません。周りでも沢山いるし、先輩方、それから、海外のアーティスト達。
Sound Productionだけではなく、パフォーマンスや、歌詞、フロウ。
僕は前にも書きましたが、特別な才能があるわけでもなんでもない。知識も豊富ではないし、ただ、ラップすることが、ライブをすることが、DJをすることが、トラックを作ることが純粋に好きだから、11年もやってこれたのかな?とは思います。
悪い言い方をするなれば「下手の横好き」ですが…。
それでも、拘れることは拘って、自分なりにHipHopと言う音楽は続けたいし、もっと勉強したい。
常に、「自分にとってのHipHop」を自分に問いながら、初心を忘れずに、それでいて、新しいことをやって活動をして行きたいです。
その為には、「努力することを忘れない」と言う事も重要ですし、母から教わった「何かになりたいのであれば人一倍頑張ること」を肝に銘じて生きていければと。
後はアイン・シュタイン氏の言葉を思い出しますが「好奇心と探究心は忘れないこと」だと。言葉が間違ってたら申し訳ありません。ただ、僕はそう解釈しています。
音楽だけで食べて行ける程甘くないのは分かっていますが、変に頑固な所はあるし、負けず嫌いですから、周りから何を言われようが取り合えず、30歳までは無理してでも続けて行こうかと思っていて、30歳までに何らかの形で目が出なければ諦めます。
それに、これだけ沢山嫌な目にも合っていますし、そろそろツキが巡って来てもいいだろうと(笑)。
自分に影響を与えてくれた人々に勝とうとしても土台無理な話。それは、ただのフォロワーでしかないし、それ以上には行けないので。
なので、自分は自分の道を行くしかないんじゃないかと。
誰かになるのではなくて、まずは自分でないと意味がない。そうじゃないと所詮物真似にしか過ぎない惨めな結末が待ってます。
だから自由に、どんな考え方でもいいから、違法な真似はせず、ただ言いたい事は言って、K-DUBさんの言葉を借りるならば「自分が自分であることを誇る」気持ちを忘れずに生きて行きたいです。
自分の信じているHipHopも、自由で、縛りのないものだと思っているので。
ただ、自分以外の方を否定するのはなし。その人にはその人のやり方があります。
その人の信じる物と自分の信じる物が必ずしも一緒とは限らないし、自分には自分のHipHopがあって、別の人には別の人のHipHopがある。
だから、否定しない。
昔…今もそうだけど自分が否定されてばかりで嫌な思いをしている分、人もそれをされたら嫌だろうから、なるべく、アドバイスはするけど、否定はしたくない。
その人の悪い所を見つけるよりも、いい所を見つける方が難しいですけど、そっちの方が気が楽です。
そんな僕です。
これからまたトラックを作って、歌詞を書きます。
ちょっと、暗い曲になるかもですけど、オチは希望を持ったオチにします。
さて…ゆる~く頑張ろう!
今の時代になってもターンテーブル2枚使いのライブをやったりするのと同じように、それが僕の作るバックトラックに現れていたりするのかも知れません。
歌詞の内容は時間が経過すれば経過するほど考え方が変わったりですとか、「もっと日本語に拘らなくては」とも考えるようにもなって来ましたし、何かメッセージ性が強い物であって欲しい。
それは抽象的でも、ストレートな物でも、聴いている方にスポスポン聴いて頂けるように。
韻は意識しない時もあれば、韻を重視している時もあったり…。
両方試みてみたのが『希望-Pray for Japan-』だったりします。
その当時、RhymesterのMummy-Dさんのインタビューで「あえて韻は踏まない手法を試みてみた」と言う話や「韻よりも言葉」と言う話に影響を受けまして。
今は「韻を踏むべき曲」と「韻よりも言葉を重視する曲」と分けて考えているのですが、最近書いた曲…『Guess Who's Back』は「初心を取り戻すためには何が必要か」と考えた時に「自虐をギャグにしつつシリアスに聴こえさせる事と、若干言葉を詰め込み韻を小刻みにでもいいし固くでもいいからしっかり踏むこと」だと思い、あの歌詞が出来上がりました。
他にも『夢と現実の僕の世界』は韻もちゃんと踏んでるんだけれども、フロウが変則的と言うか「雲のように変幻自在なフロウ」と言うのを試してみたかったんです。それがあの曲で顕著に現れています。
勿論、他の曲で手を抜くと言うことはしません。例えば『Beat NatureのテーマPt.2』なども韻はしっかり踏んでいるし、フロウを変則的にしてみたりしています。
僕の場合は、才能がない以上、天才達に勝てる気はしないけれども、負けず嫌いな所がありますから、誰もやった事のない手法などを取り入れたり…それがMASTER MIC TRIBEの『King of Pop
』で3連譜で行くように思わせて急に倍速になったり、表のリズムと裏のリズムをごちゃ混ぜにしたり、工夫しながら、それでいて、ちゃんと聴き取って頂けるかが課題になっていました。
『Guess Who's Back』でもBPMが120以上あるのに「昔の自分に出来て今出来ないのは悔しい」と言う思いから倍速を取り入れたり。
歌詞の内容にも勿論拘りはありますけれども、自分のラップフロウは凄い意識している。
他の人が絶対にやらないと言いますか、抑揚を激しくしてみたり、感情を激しく入れてみたり…。まだまだですけれど、天才に勝つ手段は今のところ、努力しかないかな?って。
昔から「ラップが下手糞」とは何度も言われてきたし、「才能がない」と言われて来ました。だからこそ、自分独自のフロウを編み出すのに必死だったんです。今も、まだ「自分とは何者か?」と考えながら、フロウを模索しています。
せっかく、3オークターブ半出るんだったら、「そこを活かさないでどうする?」とも思いますし。
HipHopに入るきっかけになったのは『This is my HipHop』でも歌っていますが、友達から聴かされたMCハマーで「これカッコいい」とは思ったけれども「自分もやろう」とは思わなかったんですけど、RUNDMCを聴かされた時に「自分もやりたい」と思い立つはいいけれども、残念ながら「日本語でラップは無理だろう」と言う固定概念があったのも確か。
そこに風穴を開けてくれたのがDragon Ashの『Greatfull Dayz』だったりDA PUMPの『if...』であったり…。その時に「日本語でラップをすることは出来るんだ!」と理解して、必死に模倣しようとしたんですけど、語呂の合わせ方が分からなかったり、韻の踏み方が分からなかったり…。
そんな時にZEEBRAさんが『笑っていいとも』に出た時に「韻の踏み方はこうやって…」と説明をしていてそこから「あぁなるほど!」と思って、韻を踏むようになったりしましたし、所謂ジャパニーズHipHopや日本語ラップを掘り下げるようになったりもして。
ですが、僕がラップを始めた当時…高校1年生だったのですが、初ライブが学校の…また特殊な学校でライブハウスがある学校だったのですが、そこで出演した際に自分でも歌っていますがマイクのヴォリュームがどんどん下げられて…。
それから悔しくなって、自分でバックトラックも作れるようになったり、歌詞の書き方も覚えて、再び高校2年生の頃、ライブをしたら上手く行って、それから地元のライブハウスでやりつつも、銀座DEPTHで開催されていたCARVINEに初めて出演したり。
なるべく思い出したくないですけど(苦笑)。
その当時はもっとハードな感じだったのですが極最初期に作っていたトラックと言うのは結構「Old Skool」な感じではありました。
ベースとドラムしかなかったり…。RUNDMCが好きだったのも手伝ってRockの要素が混じっていたり、後、LL cool Jの初期の作品が凄い好きで、それに影響されたりもしました。特に『Mamma Saide Knock You Out』だったり、今でもクラブで流している『Rock The Bell』だったり。
しかし、段々ハードじゃなくちゃいけない気がしてきて…。聴いている音楽も変わってきたりとか…。
そこで、Rhymesterの「ウワサの伴奏」を聴いた時に「!?」となり「自分が理想としていたHipHopを日本人でやっている人がいる」と気付いた時は目から鱗でした。
直接的な現在のSound Productionに影響を与えたのはRhymesterだったり、洋楽で言えばDe La SOULだったりします。
今になる直接的なきっかけをくれたのはM∀LIだったりします。多分、一生かかっても勝てない。お世辞に抜きに。
嫌味でも何でもなくM∀LIは才能があるし、それでいて凄い努力をする人。だからこそ、僕の中で「無敵の音楽家」であると思うんです。
昔…M∀LIがBUSTA STUDENT☆に入ってから作ってもらったトラックで『Back in the dayz』を聴かせてもらった時は、「グッ」と来たものがありました。
あれは先に歌詞が出来ていて、その後にトラックが出来たのですが、M∀LIもサンプリング的な手法は初めてだったと思うのですが、余裕でやってのけて…。文句のつけ所がない作品を届けてくれました。
他にもDJ TUNEやPremierなどの影響も受けつつ、RUNDMCやリックルービンの影響は強く受けましたし、今のタイミングで言うと誰も信じてくれないのですが、Beastie Boysの影響も強く受けてます。
それはBUSTA STUDENT☆が僕と、BOTTLEと、M∀LIの3人組になってから僕の作るトラックと言うよりも、パフォーマンスに出てると思います。
あの当時、聴いて衝撃を受けたのもそうですし、何よりもMTVでサマーソニックの特集がやってた頃にあのライブ映像を見た瞬間に「こんなやり方してもいいんだ!」と強く感銘を受けたのを覚えていますし、だからこそ、BUSTA STUDENT☆は、3人になってから余計に軸がぶれることなく、それでいて、それぞれ3人が3人個性のあるトラックを作ることが出来たんだなぁと。
多分、今、BUSTA STUDENT☆を再結成しても、あの時と同じパフォーマンスが出来ると思います。
それがいいか悪いかは別問題として、多分、軸はあの頃とぶれてない。
ある意味で本当に「バンド」だったんだなぁって。時々喧嘩もしたけど、不仲で解散したわけではないので…。
他にも、現在はまた1MCに戻ってる訳ですけど、パフォーマンスで衝撃を受けたのは…と言うか、ラッパーのライブ映像を初めて見たのは日本人なんですけど、YOU THE ROCK★さん。その影響は、未だに色濃く出てます。
だから、自分の今の音楽に影響を与えた人々を数え上げるとキリがありません。周りでも沢山いるし、先輩方、それから、海外のアーティスト達。
Sound Productionだけではなく、パフォーマンスや、歌詞、フロウ。
僕は前にも書きましたが、特別な才能があるわけでもなんでもない。知識も豊富ではないし、ただ、ラップすることが、ライブをすることが、DJをすることが、トラックを作ることが純粋に好きだから、11年もやってこれたのかな?とは思います。
悪い言い方をするなれば「下手の横好き」ですが…。
それでも、拘れることは拘って、自分なりにHipHopと言う音楽は続けたいし、もっと勉強したい。
常に、「自分にとってのHipHop」を自分に問いながら、初心を忘れずに、それでいて、新しいことをやって活動をして行きたいです。
その為には、「努力することを忘れない」と言う事も重要ですし、母から教わった「何かになりたいのであれば人一倍頑張ること」を肝に銘じて生きていければと。
後はアイン・シュタイン氏の言葉を思い出しますが「好奇心と探究心は忘れないこと」だと。言葉が間違ってたら申し訳ありません。ただ、僕はそう解釈しています。
音楽だけで食べて行ける程甘くないのは分かっていますが、変に頑固な所はあるし、負けず嫌いですから、周りから何を言われようが取り合えず、30歳までは無理してでも続けて行こうかと思っていて、30歳までに何らかの形で目が出なければ諦めます。
それに、これだけ沢山嫌な目にも合っていますし、そろそろツキが巡って来てもいいだろうと(笑)。
自分に影響を与えてくれた人々に勝とうとしても土台無理な話。それは、ただのフォロワーでしかないし、それ以上には行けないので。
なので、自分は自分の道を行くしかないんじゃないかと。
誰かになるのではなくて、まずは自分でないと意味がない。そうじゃないと所詮物真似にしか過ぎない惨めな結末が待ってます。
だから自由に、どんな考え方でもいいから、違法な真似はせず、ただ言いたい事は言って、K-DUBさんの言葉を借りるならば「自分が自分であることを誇る」気持ちを忘れずに生きて行きたいです。
自分の信じているHipHopも、自由で、縛りのないものだと思っているので。
ただ、自分以外の方を否定するのはなし。その人にはその人のやり方があります。
その人の信じる物と自分の信じる物が必ずしも一緒とは限らないし、自分には自分のHipHopがあって、別の人には別の人のHipHopがある。
だから、否定しない。
昔…今もそうだけど自分が否定されてばかりで嫌な思いをしている分、人もそれをされたら嫌だろうから、なるべく、アドバイスはするけど、否定はしたくない。
その人の悪い所を見つけるよりも、いい所を見つける方が難しいですけど、そっちの方が気が楽です。
そんな僕です。
これからまたトラックを作って、歌詞を書きます。
ちょっと、暗い曲になるかもですけど、オチは希望を持ったオチにします。
さて…ゆる~く頑張ろう!