先日、ついにオウム心理教の菊池直子容疑者が逮捕されましたね。
写真を見た時、正直、「嘘だろ!?」と思うような激変振りに驚き、ニュースを聞いて、色々考えさせられることが多くありました。
まず、何でこのタイミングだったのか?と言うのが一つの感想。NHKでオウムの特別番組をやっていて、あまりにもタイミングが出来すぎているのも引っかかりますし、個人的な意見では、国会で議論されている消費税増税の法案や、人権保護の法案などの問題から目を反らさせようと見えるのも感じたことではあります。
それから、これは凄い不謹慎に感じられてしまう方もいるでしょうし、怒られるかも知れませんが、少しだけ、言葉に言い表せない感情が胸に込み上げてきたのも確かです。
確かにサリンの製造に関わり、それで大勢の人々を苦しませた大罪はあるけれども、それが何に使われるのか分からなかったと言うのが本当であれば、被害者の一人ではあるような気もして…。
被害を受けて亡くなられた方や未だに後遺症が残って、苦しんでいる方、植物人間状態になっている方やその遺族や家族の事を考えると、当然、許すことの出来ない罪を犯したのも事実ですが、手記に「何度も出頭しようか迷った」と書かれていたり、男性と同棲して、結婚を迫られたけれども、自分が犯罪者だから、それは出来ない。
女性としての幸せを失い、何かに怯えながら生きる生きた心地がしない生活…。
菊池容疑者の立場から考えると、苦しかったのではないかと思います。
通報した方は匿名だったらしいのですが、これは個人の主観にしか過ぎないのですが、オウムの信者が売ったか、それか、一緒に暮らしていた高橋容疑者が「もうこれ以上コソコソ苦しい思いをさせたくない」と思い通報したのか…。全ては想像にしか過ぎないのですが、あの写真を見て、本人だとはまず誰も気付かないと思いますし、そんなことも想像できると言う話ですが。
しかし、17年間…どんな気持ちで生きてきたのでしょうか?
被害者の気持ちを考えると、「凶悪犯」ではあるものの、オウムを盲目的に信じていたのであれば、この方も被害者の一人ではあるのかな…と。
あの事件は絶対に風化して欲しくないし、当然、裁かれて、それ相応の償いを受けるのは当たり前ですけれども、同情までは行かなくとも、「後ろめたい」と言う気持ちはあったでしょうし、17年経過した今だからこそ、「申し訳ない」と思う気持ちもあるんじゃないかとも考えられなくはありません。
許されるか許されないかで考えたら勿論、許されないけれども、もし、麻原を盲目的に信じてなければ、逃げ回る必要もなければ、女性として結婚して、子供を出産し、幸せの絶頂にまで行けたのではないか?と考えてしまう僕がいるんです。
あくまでも、主観と想像と推測でしか書いていないので、不謹慎かも知れないのですが…。
ただ、信じる相手が違っていたのかな?と。
宗教そのものを否定する気もなければ、誰が何を信じるかも自由ですし、どなたかの日記で読みましたが、生きている限り何かにマインドコントロールなり、洗脳をされたり…そんなことは日常茶飯事で、その信じる対象が、自分の夢なのか、会社なのか、社会なのか、マスコミの報道なのか、国なのか、宗教なのか。その違いだけで、何が正しいかどうかは自分のその時信じているものから受けた影響の考え方なのではないかとも思います。
菊池容疑者はそれがたまたま宗教で、ドップリ浸かってしまい、洗脳を受けたのでしょう。
最初のきっかけはオウムが経営するヨガ教室だったと聞きます。
そこで、勧誘を受け、麻原を信じて、そこでサリンの製造まで手伝わされた…となると、どうしても、道を間違えてしまったようにも僕は取れるのです。
その情報自体が正しいかどうかも全ては闇の中と言えばそうなのですが、ちょっと、菊池容疑者の立場を考えると、「辛かったんだろうな」とも思ってしまう。
別に擁護するわけでもなければ、この方はちゃんと法廷で裁かれて、罪を償って欲しいと言う気持ちがある反面、無期懲役や、死刑でなければ、ちゃんと罪を償って、一からやり直して欲しい。もしかしたら、国や社会がそれを許さないかも知れませんが…。
被害者の方やその家族の方もそれを許す訳はないと言うのは重々承知しています。ですが中には「社会的制裁を十分受けてきた」とおっしゃってる被害者家族の方もいらっしゃったり…。
この事件を思い返して思うことは、人間、どのタイミングで犯罪者になるかなんて分からないもので、たった一つのきっかけで、全てが狂って、罪を犯す事もあるのだなと。
その一例が菊池容疑者やオウムの方々だったんだろうなぁとも個人的には思ってしまいます。
未だ現役でオウムを信じている方もいらっしゃるでしょうし、何を信じるかはその方の自由ですけれども、ただ、肩身の狭い…いる場所のない生活を送っているのではないかとも考えられなくもないかなと。オウムに限らず、別の宗教でもそうですけど。
江戸時代にはキリスト教信者が踏み絵を行わされて、隠れキリスタンなどは肩身の狭い思いをしたに違いありませんし、現代の社会でも、やはり、何かしら仏教でも、神教でも、キリスト教でも、イスラム教でも、創価学会でも、僕はそれを信じることを非難することはありませんが、恐らく、それぞれ各々肩身の狭い思いは少なからずしているとは思うのです。
何を信じるかはその方の自由です。僕はそれを非難することはしません。
それは自分の保身からだけではなく、ただ、人間はどんなに強くあろうとしても、弱い生き物で、何かを信じないと生きていけない方もいらっしゃるのも事実なのは凄く理解しています。
それを信じることによって、その方が救われるのであれば、問題はないんじゃないかと。
ただ、勘違いして欲しくないのは、この文脈だけを抜き取って非難していると捉えて欲しくはありません。
むしろ、肯定しています。
その方が何を信じるかは各々自由です。そこを非難すると言う事は野暮な話で、僕自身、無宗教ではありますが、HipHopと言う文化やレゲェの考え方を信じているので、それと同じで、信じている対象が違うだけの話。
今回の件で言いたいのは、菊池容疑者は、それが信じてはいけない対象を信じてしまったと言うことで、ある意味で、乱暴な言い方が許されるのであれば、騙されてしまい、被害者と言えば、被害者なのかなと。
他の被告人や容疑者も同様に、信じる対象が間違った方向に進んで行って、ついにはテロまで起こし、それでも、盲目的に信じて、救いを求めたのでしょう。
上層部はある程度理解はしていたとは思います。
ただ、所謂一般の信者はただ、「間違っていない」と信じていたのでしょう。
ですから、本当に非難されるべき相手はテロリスト集団にしてしまった方々なのではないかとも思うのです。
あくまで、個人的な意見ですけど…。
被害者の方やその家族、遺族が読んだら「不謹慎だ!」と思われてしまうかも知れませんが、事実、僕の先輩で未だに現役で活躍しているDJの方で、KAZOOさんと言う方がいらっしゃるのですが、KAZOOさんももしかしたら被害にあっていたかも知れない一人なのです。
たまたまその日、その路線を使わなかっただけで、奇跡的に救われたので、危なかったですし、無事でよかった…。本当に奇跡としかいいようがないのですが。
それが故に「怖いな」とも思いますし、今でも、やろうと思えばやってしまう方もいらっしゃるかも知れません。
何が正しくて、何が間違っているか?
この事件は頭の悪い僕だって、「間違っている」と思います。裁かれるべき人はちゃんと裁かれて、罪を償わなければなりません。
ただしあの当時マインドコントロールされていたり、盲目的になっていたとも考えた上で、裁かないといけない問題でもあります。
ここで書けることは絶対にこの事件を風化させてはならないと言う事と、マインドコントロール、洗脳の恐ろしさを忘れてはいけないのではないかなと。
人間、宗教なんて関係なく、一歩間違えれば誰でもテロリストにはなれるし、大量殺人を行う事も出来ます。
それが宗教がらみかそうではないかの違いだけであって、根本的な問題は宗教だけではないんじゃないかと。
菊池容疑者も恐らく裁判員制裁判で裁かれるのでしょうから、ちゃんと被害者の方の気持ちや菊池容疑者の気持ちを考えられる方が選ばれて欲しい。
被害者の方の中にはもしかしたら特別な日だった方もいらっしゃるかも知れませんし、もしかしたら地方から東京に来たらたまたま巻き込まれた方もいらっしゃることも考えれます。
ですから、余計に考えさせられる事件です。
最後になりましたが、別に宗教を否定するつもりはありません。僕の知り合いにもキリスト教の方もいれば、仏教の方、神教の方、中にはイスラム教や創価学会の方もいますが、僕が選んだ大切な仲間や友人、先輩や後輩です。だから、一概に全ての宗教が危ないとは絶対に言えない。
信じている対処が違うだけで、一人一人で見て行けば、悪い人ばかりじゃありません。いい人だって沢山いる。
ただ、僕が信じているものが違う対象…音楽だったり、お医者様であったりするだけで、「何かを信じる」と言う根本では何も変わらないから、絶対に否定しないし、むしろ、肯定します。
全部が全部悪いなどと言ってしまうのはとても乱暴です。
むしろ、何かを信じると言う行為は尊重されるべきだし、それを否定するべきではない。何かを信じている方が純粋であるとも思います。
ただ、この事件は信じた対象がテロリスト集団と化してしまったと言う話で、先述しました通り、裁かれるべきなのはそれをテロリスト集団とさせてしまった方だと思うのです。
被害者の方の目線で見るならば、どの被告や容疑者も憎くて仕方がないと思いますし、二度とこのような事件は起こしてはならないし、風化させてはいけない。
ですが、マインドコントロールの解けた今、その気持ちも考えて裁くべきなのではないでしょうか?
長々と駄文で申し訳ありません。
もう同じ日本人同士で殺しあったり、憎みあったり…そんな事はしたくないし、聞きたくないし、見たくありません。
お互い、信じる対象は違うかも知れませんが、理解して、生きて行きましょうよ。
駄文、失礼しました。
写真を見た時、正直、「嘘だろ!?」と思うような激変振りに驚き、ニュースを聞いて、色々考えさせられることが多くありました。
まず、何でこのタイミングだったのか?と言うのが一つの感想。NHKでオウムの特別番組をやっていて、あまりにもタイミングが出来すぎているのも引っかかりますし、個人的な意見では、国会で議論されている消費税増税の法案や、人権保護の法案などの問題から目を反らさせようと見えるのも感じたことではあります。
それから、これは凄い不謹慎に感じられてしまう方もいるでしょうし、怒られるかも知れませんが、少しだけ、言葉に言い表せない感情が胸に込み上げてきたのも確かです。
確かにサリンの製造に関わり、それで大勢の人々を苦しませた大罪はあるけれども、それが何に使われるのか分からなかったと言うのが本当であれば、被害者の一人ではあるような気もして…。
被害を受けて亡くなられた方や未だに後遺症が残って、苦しんでいる方、植物人間状態になっている方やその遺族や家族の事を考えると、当然、許すことの出来ない罪を犯したのも事実ですが、手記に「何度も出頭しようか迷った」と書かれていたり、男性と同棲して、結婚を迫られたけれども、自分が犯罪者だから、それは出来ない。
女性としての幸せを失い、何かに怯えながら生きる生きた心地がしない生活…。
菊池容疑者の立場から考えると、苦しかったのではないかと思います。
通報した方は匿名だったらしいのですが、これは個人の主観にしか過ぎないのですが、オウムの信者が売ったか、それか、一緒に暮らしていた高橋容疑者が「もうこれ以上コソコソ苦しい思いをさせたくない」と思い通報したのか…。全ては想像にしか過ぎないのですが、あの写真を見て、本人だとはまず誰も気付かないと思いますし、そんなことも想像できると言う話ですが。
しかし、17年間…どんな気持ちで生きてきたのでしょうか?
被害者の気持ちを考えると、「凶悪犯」ではあるものの、オウムを盲目的に信じていたのであれば、この方も被害者の一人ではあるのかな…と。
あの事件は絶対に風化して欲しくないし、当然、裁かれて、それ相応の償いを受けるのは当たり前ですけれども、同情までは行かなくとも、「後ろめたい」と言う気持ちはあったでしょうし、17年経過した今だからこそ、「申し訳ない」と思う気持ちもあるんじゃないかとも考えられなくはありません。
許されるか許されないかで考えたら勿論、許されないけれども、もし、麻原を盲目的に信じてなければ、逃げ回る必要もなければ、女性として結婚して、子供を出産し、幸せの絶頂にまで行けたのではないか?と考えてしまう僕がいるんです。
あくまでも、主観と想像と推測でしか書いていないので、不謹慎かも知れないのですが…。
ただ、信じる相手が違っていたのかな?と。
宗教そのものを否定する気もなければ、誰が何を信じるかも自由ですし、どなたかの日記で読みましたが、生きている限り何かにマインドコントロールなり、洗脳をされたり…そんなことは日常茶飯事で、その信じる対象が、自分の夢なのか、会社なのか、社会なのか、マスコミの報道なのか、国なのか、宗教なのか。その違いだけで、何が正しいかどうかは自分のその時信じているものから受けた影響の考え方なのではないかとも思います。
菊池容疑者はそれがたまたま宗教で、ドップリ浸かってしまい、洗脳を受けたのでしょう。
最初のきっかけはオウムが経営するヨガ教室だったと聞きます。
そこで、勧誘を受け、麻原を信じて、そこでサリンの製造まで手伝わされた…となると、どうしても、道を間違えてしまったようにも僕は取れるのです。
その情報自体が正しいかどうかも全ては闇の中と言えばそうなのですが、ちょっと、菊池容疑者の立場を考えると、「辛かったんだろうな」とも思ってしまう。
別に擁護するわけでもなければ、この方はちゃんと法廷で裁かれて、罪を償って欲しいと言う気持ちがある反面、無期懲役や、死刑でなければ、ちゃんと罪を償って、一からやり直して欲しい。もしかしたら、国や社会がそれを許さないかも知れませんが…。
被害者の方やその家族の方もそれを許す訳はないと言うのは重々承知しています。ですが中には「社会的制裁を十分受けてきた」とおっしゃってる被害者家族の方もいらっしゃったり…。
この事件を思い返して思うことは、人間、どのタイミングで犯罪者になるかなんて分からないもので、たった一つのきっかけで、全てが狂って、罪を犯す事もあるのだなと。
その一例が菊池容疑者やオウムの方々だったんだろうなぁとも個人的には思ってしまいます。
未だ現役でオウムを信じている方もいらっしゃるでしょうし、何を信じるかはその方の自由ですけれども、ただ、肩身の狭い…いる場所のない生活を送っているのではないかとも考えられなくもないかなと。オウムに限らず、別の宗教でもそうですけど。
江戸時代にはキリスト教信者が踏み絵を行わされて、隠れキリスタンなどは肩身の狭い思いをしたに違いありませんし、現代の社会でも、やはり、何かしら仏教でも、神教でも、キリスト教でも、イスラム教でも、創価学会でも、僕はそれを信じることを非難することはありませんが、恐らく、それぞれ各々肩身の狭い思いは少なからずしているとは思うのです。
何を信じるかはその方の自由です。僕はそれを非難することはしません。
それは自分の保身からだけではなく、ただ、人間はどんなに強くあろうとしても、弱い生き物で、何かを信じないと生きていけない方もいらっしゃるのも事実なのは凄く理解しています。
それを信じることによって、その方が救われるのであれば、問題はないんじゃないかと。
ただ、勘違いして欲しくないのは、この文脈だけを抜き取って非難していると捉えて欲しくはありません。
むしろ、肯定しています。
その方が何を信じるかは各々自由です。そこを非難すると言う事は野暮な話で、僕自身、無宗教ではありますが、HipHopと言う文化やレゲェの考え方を信じているので、それと同じで、信じている対象が違うだけの話。
今回の件で言いたいのは、菊池容疑者は、それが信じてはいけない対象を信じてしまったと言うことで、ある意味で、乱暴な言い方が許されるのであれば、騙されてしまい、被害者と言えば、被害者なのかなと。
他の被告人や容疑者も同様に、信じる対象が間違った方向に進んで行って、ついにはテロまで起こし、それでも、盲目的に信じて、救いを求めたのでしょう。
上層部はある程度理解はしていたとは思います。
ただ、所謂一般の信者はただ、「間違っていない」と信じていたのでしょう。
ですから、本当に非難されるべき相手はテロリスト集団にしてしまった方々なのではないかとも思うのです。
あくまで、個人的な意見ですけど…。
被害者の方やその家族、遺族が読んだら「不謹慎だ!」と思われてしまうかも知れませんが、事実、僕の先輩で未だに現役で活躍しているDJの方で、KAZOOさんと言う方がいらっしゃるのですが、KAZOOさんももしかしたら被害にあっていたかも知れない一人なのです。
たまたまその日、その路線を使わなかっただけで、奇跡的に救われたので、危なかったですし、無事でよかった…。本当に奇跡としかいいようがないのですが。
それが故に「怖いな」とも思いますし、今でも、やろうと思えばやってしまう方もいらっしゃるかも知れません。
何が正しくて、何が間違っているか?
この事件は頭の悪い僕だって、「間違っている」と思います。裁かれるべき人はちゃんと裁かれて、罪を償わなければなりません。
ただしあの当時マインドコントロールされていたり、盲目的になっていたとも考えた上で、裁かないといけない問題でもあります。
ここで書けることは絶対にこの事件を風化させてはならないと言う事と、マインドコントロール、洗脳の恐ろしさを忘れてはいけないのではないかなと。
人間、宗教なんて関係なく、一歩間違えれば誰でもテロリストにはなれるし、大量殺人を行う事も出来ます。
それが宗教がらみかそうではないかの違いだけであって、根本的な問題は宗教だけではないんじゃないかと。
菊池容疑者も恐らく裁判員制裁判で裁かれるのでしょうから、ちゃんと被害者の方の気持ちや菊池容疑者の気持ちを考えられる方が選ばれて欲しい。
被害者の方の中にはもしかしたら特別な日だった方もいらっしゃるかも知れませんし、もしかしたら地方から東京に来たらたまたま巻き込まれた方もいらっしゃることも考えれます。
ですから、余計に考えさせられる事件です。
最後になりましたが、別に宗教を否定するつもりはありません。僕の知り合いにもキリスト教の方もいれば、仏教の方、神教の方、中にはイスラム教や創価学会の方もいますが、僕が選んだ大切な仲間や友人、先輩や後輩です。だから、一概に全ての宗教が危ないとは絶対に言えない。
信じている対処が違うだけで、一人一人で見て行けば、悪い人ばかりじゃありません。いい人だって沢山いる。
ただ、僕が信じているものが違う対象…音楽だったり、お医者様であったりするだけで、「何かを信じる」と言う根本では何も変わらないから、絶対に否定しないし、むしろ、肯定します。
全部が全部悪いなどと言ってしまうのはとても乱暴です。
むしろ、何かを信じると言う行為は尊重されるべきだし、それを否定するべきではない。何かを信じている方が純粋であるとも思います。
ただ、この事件は信じた対象がテロリスト集団と化してしまったと言う話で、先述しました通り、裁かれるべきなのはそれをテロリスト集団とさせてしまった方だと思うのです。
被害者の方の目線で見るならば、どの被告や容疑者も憎くて仕方がないと思いますし、二度とこのような事件は起こしてはならないし、風化させてはいけない。
ですが、マインドコントロールの解けた今、その気持ちも考えて裁くべきなのではないでしょうか?
長々と駄文で申し訳ありません。
もう同じ日本人同士で殺しあったり、憎みあったり…そんな事はしたくないし、聞きたくないし、見たくありません。
お互い、信じる対象は違うかも知れませんが、理解して、生きて行きましょうよ。
駄文、失礼しました。