今朝方、池袋から電車に乗り込み山手線内でモニターからBMXのCMが流れているのを見たのですが、単純に「凄いなぁよくこんな動きが出来るよなぁ」と思ったのですが、そこからフッと「HipHopの4台要素の内、3つ…DJ、DANCE、GRAFITTIは世界に進出しているのにRAPだけ何故世界に進出しないのか?」と言う昔からある疑問に直撃。
それは単純に世界うんぬんじゃなくて、日本自体にまずちゃんとそのラップがいかに凄いのか?と言うのが浸透していないからではないかと。
何と言うか、変に茶化されやすいと言うのもあるし、馬鹿にされ易いんだと思うんですよ。何となくそれっぽくやってればラップになるかなぁと思われるって言うか。
他にもさっき書いたことと重複するようなことなのですが、「誰にでも出来そう」と思われているんじゃないかと。
これは文章で書くと凄い伝わり難いと思うのですが、宇多丸さんもラジオで言っていたけどラップを全く知らない人にラップをやらせてみると「Yo私はなんとかかんとかで、なんとかかんとかやってますYO」みたいな。伝わらなかったらごめんなさい。何となく言うなればカタコトでそれっぽい言い方…あえて歌い方とは言わない。言い方で語尾に「YO」を付ければいいと思ってる人がいたりとか。
本当はもっと日本語でラップをやるのって日本人は当たり前にやってるけど、それはもう難しいことだし、何よりも、日本語でやるとどうしても音楽的な話になってしまうのですが、8ビートで表のリズムしか取れていない感じになったり、外国語…特に英語でやっているようなあの独特のハネた感じのグルーヴが生まれなかったり、韻だって母音が5つしかない中でやっていかなくちゃいけない。最近はあえてメッセージを重視して踏まないスタイルもありかなと思いながらやってるのですが。
それでもラップを知らない人にしてみたら「韻って何?」って言う話になってくるし、上手い人のラップとさほど上手くない人のラップを聴かせたところで「何が違うの?」と言う話になってくる。
「この人は本当に上手い。他の人と違う」と言うMCが現れて、それが浸透して行かない限り「ただカッコ付けて変な喋り方をしている」と言う見られ方は変わらないんじゃないかと。
この意見が正しい意見かどうかは分からないのですが、ただ、純粋にラップの凄さと言うものが伝わりづらいから浸透しないと言うのは多分そうかなぁと思うんです。
そもそも日本でやっているMCの中にも僕含めてちゃんと出来ている人が何人いるのかとか数えてみたらそんなにいなかったりもしますからね。基礎的なことができていなかったりとか。韻がちゃんと踏めてなかったり(あえて書きますけど、踏んでないのと踏めてないのは違いますからね)、ストーリーテリングがちゃんと出来てなかったり、数え上げたらキリがない位あるんですけど。
だけど、それさえ理解されないでただ「ラップ」と言う括りで総括されてしまう。
故に「ラップって言うのはどこそこが凄い」と言うのを説明抜きに「あ、この人は凄いな」と言うのを感じさせられるラッパーがいたらいいですね。
今は「あいつはワックだ」とか言っている場合ではないのではないかと。僕のようなワックMCが言うのも恐縮ですし、いつまた「あ、まだあいつ生きてたの?早く死ねば良いのに」って言われるか分かったもんじゃありませんけれども。
されど、僕自身ワックながら色々考えているのです。「日本語で世界に通用するラップは作れない」と言われようが、いずれはそう言う時期が来ると思うのですよ。だけど、その前にちゃんと日本にラップ、ひいてはHipHopと言うものがちゃんとした形で浸透させなければいけない。いずれその壁に直面する時は来る。
言ってしまえば、雑音ですよ。メロディーもないし時に違和感のある音階に行く時もあるし、違和感があるかも知れない。しかし、雑音には雑音なりの美学がある。その美学がHipHopだけではなく、音楽シーン全体に浸透して行けばいいですね。
何だか最終的に何が言いたいか分からない文章になってしまいましたし、小学生が書いた読書感想文以下の内容になってしまいましたが、がんばれ~まけるな~力の限り生きてやれ~と言うことです。
言いたいことは言ったし、スッキリしました。異論があったらごめんなさい。思ったことを書いただけなので、お願いだからDisしないで下さい。別に日本語ラップが嫌いってわけじゃないし、現行のシーンを否定しているわけでもなんでもないです。
…う~んやっぱり頭の中でまとまりきっていない事を書くと大怪我するものですな。