2枚目のアルバム「The Roots」の制作過程を綴った内容ではありません。どうも。蔵人です。
今回は、自分の音楽的な過去を「掘り下げる」行為をこのブログを通じて行ってみようと思います。
初めてラップ…HipHopに出会ったのは中学生2年生の頃、その当時の親友にMCハマーを聴かせてもらったのがきっかけでした。
その当時はラップで、HipHopでご飯を食べて行こうなんて言う気はなく、言うなれば遊び感覚で始めたのでした。もちろん、語呂合わせも出来ないし、韻も踏めない。人に聴かせられるレベルなんてもんじゃないものでした。
その後、その親友からRUNDMCを聴かせてもらって、本格的にやってみる気になったわけですが、その当時、まだ中学生。ビールも飲めない、まだまだ子供の頃。ビートもないし、ビートに合わせて歌うことも出来ないし、何よりも歌える場所がない。ただ、韻も語呂合わせも出来ていない歌詞を書くだけの日々でした。
それからしばらくして、親友が事故死。僕にHipHopを教えてくれた人がいなくなってしまったわけです。
中学校3年生。DA PUMPの『if...』を聴いて、「日本にもラップをやっている人がいる」と言う事を知り、その後、Dragon Ashを聴く事になり、よく、友達の前でふざけてDragon Ashの曲を歌ったりしていました。
同時期、ドラマやCMのエキストラの仕事をなんとなく、始める事になり、色々なドラマやCM、映画などに出演することになりましたが、俳優としての才能はなく、高校2年生位でその道をドロップアウト。何で始めたのかは今でも自分でも覚えていません。
まぁ、それとまた時を同じくして某大手事務所に入ることになるも、すぐに脱退。っと、言うよりもクビになりました。ウホ事件が起きたのもこの頃かな。
それから音楽科、芸能科がある都内の某高校に進学し、まだエキストラの仕事をしていた僕は「少しでも仕事のためになれば」と芸能科の演劇部に所属。一年もちませんでした。
途中から、ヴォーカル科に移り、歌を習い始めて、そこで、一緒に出会った人とグループを組み、歌をラップを同時にやる事になりました。
その後、地下にライブハウスのある学校でして、地下のライブハウスで歌を披露することになったのですが、始まる数週間前に「やっぱりやりたくないよ」と逃げられ、急遽別の人と組むことになり、初舞台を踏む事になりましたが、大失敗。
PAさんに僕のマイクのヴォリュームだけを下げられて、最終的には聴こえないレベルにまで下げられて、終わりました。それが僕の初舞台。
だけど、不思議と辞める気は起きませんでした。むしろ、「もっとやってやる」的な思いになっていきました。
高校2年生。すっぱり俳優で食べて行こうと言う思いは捨て、「音楽でやって行こう」と決意。韻の踏み方、語呂合わせの仕方を覚えたのも丁度この頃。そして、イジメられ始めたのもこの頃。そして、ZEEBRAさんやYOUさんなどを知ったのもこの頃。
周りに味方なんて誰もいなくて、卒業するまでずっと一人で毎日のように泣いていました。
そして、高校2年の夏…丁度7月位だったかな?同じ会場で再びステージに立ちました。今度は、カヴァー曲ではなく、我流で覚えたビートメイキングで作ったビートと、韻の踏み方、語呂合わせの仕方を覚えて、再びステージに立って、3曲披露。会場を少しは盛り上げることが出来たかな?
その一ヵ月後、今度は地元にあるライブハウスで開催されたミクスチャー系のイベントに出演して、会場をロックしてやりました。その時、確か、YOUさんの曲(モンスターロックだったと思う)もカヴァー。多分、今までやって来たライブの中で一番盛り上げたのがあの時だったと思う。
それから不定期にそのライブハウスのイベントには出ることになったんですけど、どれも散々な結果でした。やはり、ロックの畑とHipHopの畑は違うようでした。
同年11月16日土曜日、「どうしてもHipHopのイベントに出たい」と言って、出れるイベントを探して初めてクラブイベントに出演したのが銀座DEPTHの今は僕とボトルで継続して出演しているCARVINEでした。
それから、新宿イズムで開催されていたイベントに出たり、色々ありました。
正直、学校よりも、こっちの世界の方が楽しかったし、学んだ事も多かった。日本にHipHopがある事もこの頃知った。
Rhymesterもこの頃知ったんだっけな?それで凄い影響を受けた気がする。今でも、正直、自分の中では大きな存在です。日本で一番尊敬しているHipHopグループ。
それからスタイルを模索するようになるんですけど、1年後の高校3年生の時、初めてソロで下劣なネタで歌詞を書いて(しかも全部実話)披露。それが1枚目のアルバムに入っている『ノブヲの詩』です。
それから(これはやり過ぎたと後で後悔する事になる)『息子が立たない』も完成。やはり、男子からは大受け。そして、人生最大の汚点。でも、『ノブヲの詩』と『息子が立たない』がターニングポイントになったことは間違いありません。あれがなかったらもうとっくにういなくなっていたと思う。
暫くして、BUSTA STUDENT☆を組む事になるんですけど、これもまた中々メンバーの入れ替わりが激しくて大変だった。2MC+1SINGERの形になったのは結成してからかなり時間が経ってから。2MC+1SINGERになって、色々なライブ会場でライブしたっけな。
続きは今度書く。