五月雨の降り残してや光堂 | 村上博一のブログ

村上博一のブログ

ブログの説明を入力します。

みなさんおはようございます、今日も朝から家でお仕事です。


オンディマンドを流していて「100分で読む名著・奥の細道編」を眺めていました。

このシリーズは、ほんとよくできていて、単に原典の文字面を解釈するだけでなく、

背景事情も含め立体的に分析し教えてくれます。学校で講義のうまい先生がいますが、

そんな先生の授業を受けている感じです。


で、そこで流れていたタイトル掲載の俳句について。一般的には「奥州藤原氏が滅びて500

年以上たった今でも光堂は残り輝いているよ。」とされ「兵ものどもが夢の跡」と対をなしている

とされています。「降り残してや」というのが「時の流れを超えて」と解釈する訳ですね。

ここまでがオンディマンドの内容です。


ただ、これは現実にみてみないとピンとこないんですが、光堂(中尊寺金色堂)は、さや堂という

お堂の中にあります。お堂の中にお堂をいれて、中のお堂を守っているんですよね。


それをとてもわかりやすく示したものがありましたので、紹介します。

   http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/oku/hrzaa02.htm


だから、中のお堂に雨が降らない「降り残してや」というのは「あっそういうことか。」という感じです。


ただ、そのような事実があるのですが、現実を述べても奥行きがないということで「さや堂」のことは俳句に残さずに、時の流れのみを表現したというのが、前述した一般的な解釈な訳です。


しかし、その俳句の前説に「四面新たに囲いて甍を覆いて風雨を凌」と書いてあるんですよね。だから、

僕は「な~んや」っていう、物理的な解釈を強めたものの方が、軽やかで好きです。

  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13116572228

こんな感じですね。


ただ、それを一体化したのが、この解釈。こちらの方が、より深みがありますね(でも、この授業内容が

小5、6向けというのは、驚きです。)。

  http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/8900

 

まっいいたかったのは、奥の細道平泉編は芭蕉46歳の出来事のようで、僕も今月で46歳。

そろそろ、何か残さないとだめやな~と感じた次第です。