自分に限界が来て

にっちもさっちもいかなくなって

もう終わりだと感じて、絶望して

人生の境地に立たされた時


日本人の脳内には必ず“自殺”という選択肢がある。


もしあなたを苦しめる理由が他者にあったとしたら、そいつを殺せばいい。でもきっとあなたは自らを傷つけ、挙げ句の果てには自殺を選ぶだろう。


殺人は犯罪になる。だからしない。

自殺は犯罪にならない。だから良い。

この差も大きいと思う。


でも実際にはもうひとつ、

“逃げる”という選択肢もある。


しかしこの“逃げる”という行為は、まるでタブーとされているかのように周囲からよく咎められる。

失敗して逃げて、誰かに罵られて恥をかくくらいなら死んだ方がマシだと思うからだろう。


それほどに日本人の思想というのは歪み切っている。


本当は死ぬくらいなら逃げた方がいいのだ。

恥をかこうが何があろうと

自分の命を最優先させることは、決しておかしいことではないのだ。


しかしまるで命の重さは二の次、みたいな

そんな考えのやつがわんさかいるもんだから

大人になるにつれて、社会に揉まれるにつれて、どんどんその感覚は麻痺していく。


今の時代は

加害者が守られて、被害者が責められる。


学校でいじめがあっても、いつも教室から追い出されるのは虐められた側(被害者側)だ。

そして世間はそれを見てこういうだろう

「いじめられる側にも問題がある」


被害者側はそうやって、言われなくてもいいことまで世間に言われ・責められ、苦しんでいる間も尚、

虐めた側(加害者側)は平気な顔して学校に通い、いつものように授業を受けているのだ。

痛くも痒くもない。


壮絶な虐めなど受けたことの無い人達が

安全地帯で知ったかぶりして

たかが外野の分際で当人の辛さの度合いすら決めつける。それすらも正義と言う時代。


そしていずれ、被害者はうつ病やパニック障害などの精神病になる。


やっとこさ精神科や心療内科に通ったって

言われるのはそう、

「辛さの度合いは人それぞれですから」

そうやってまた、なあなあにする。


しかし、誰が1番辛いだとか、誰が1番可哀想だとか

内心、勝手に決めつけているのは精神科に他ならないのだ。

そんな人達にまともに心の治療かできるのだろうか。


僕はもう6年ほど心療内科に通っている。

何度か病院を変えて転々としていたが、やはり良くなることなんてない。

精神薬だってそもそも長く飲めるものなんてないし、みんながみんな、体質にあうものがあるとは限らない。

ただ毎週何時間も待たされた挙句、2〜3分の診察をするだけ。カウンセリングを受けたとしても中身はただ話を聞いてもらうだけ、「辛かったですね、可哀想でしたね、大変でしたね」と同情をもらうだけ。

僕はこれでは良くならなかった。

なぜなら発達障害の特性も強く出ていたからだ。


しかし転々とした病院のうち3件はそれを見抜くこともできず、あなたの気のせいだとバカにした。


こういった医療体制も、ずさんなのだ。



僕も過去に何度も自殺未遂したし、

未だに死にたいと思ってしまうこともある。

自傷行為も、回数は減ってきたものの未だにしている。

頑張っていても、健常者にも障害者にもバカにされるし、どんなに区別したところで所詮そこはみな人間なのだろう。


「死ぬくらいなら逃げてやる。」


そう思えたら、きっといいのかもしれない。