県道前橋西久保線江木町信号交差点から南へ約126mの西、上毛電鉄赤坂駅東南東約
1.6㎞、江木駅の南1.9㎞地点前橋市江木町9-1に南向きに鎮座している六所神社。
拝殿前西の神社碑
六所神社
御祭神
大國主命 瓊々岐命 素盞嗚命 大宮女大神 伊佐那岐命 布留大神
後に村内の諏訪神社、天満宮、貴船神社、大通竜神社、白山神社を合祀
御神徳
農商工の各産業の信仰発展の神として
家庭円満の守護の神として
勝負、健康、道徳を守る神として
入学試験合格、並びに学業成就の神として
縁結び、安産の神として
交通安全厄除の神として
永く氏子を始め近郊の人々の崇拝者が多く、此の神社の御守護の広大無辺の恩恵に只
々有り難く誠に恐懼に堪えません。
例祭
春 四月八日
秋 十月十九日
宮 司 北爪秀道
氏子総代表 斎藤要吉
由緒沿革の碑
由緒沿革
社伝によれば垂仁天皇二十六年八月、此の地方に疫病が流行したので勅命により一國
一社、三輪の神を奉斎せしめる当社は、その上野國の一社と伝う 翌二十七年に神地が
定められて、江木郷六十町が社領として与えられその中心となった 後に景行天皇五十
三年御巡幸の際、此処より萱を刈りしと謂う 以後歴代の皇室や将軍藩士に献上したと
伝う そして時代の変遷と兵乱のため廃絶、六所ヶ原と言う地名だけが残った 安永五
年(1776)三月、快乗院町田隆光、修験者となり、前社殿を建築再建した。当時の氏
子四十八戸 明治四十一年(1908)三月氏子総代代表大島徳多の先達のもとに大改築
が行なわれた。当時の氏子八十一戸 大正五年(1916)三月十日神饌幣帛料供進の拝
受を賜り指定村社となる。当時の氏子総代代表齋藤佐七他氏子九十戸 昭和二十八年
(1953)北爪一雄他総代の方々の御尽力により宗教法人となる、当時の氏子百三十戸
昭和五十五年(1980)県農業試験場の拡張と昭和五十八年清水県政の地方振興開発
に伴う事業として、県企業局の計画により萱野住宅団地造成工事に社有地を氏子総会に
計り提供する
昭和六十年氏子総会において社殿新築工事が決議され昭和六十一年五月二十八日着工
~昭和六十二年三月吉日完成。これを記念してここに謹んで明記す
昭和六十二年三月吉日
氏子総代代表 齋藤要吉
氏子総数 百九十三戸
東向きの鳥居
参道
神社門は普通随神門ですが、何故か袖塀付きの薬医門となっています、これは山門形式
です。
門に架かる扁額
二の鳥居
手水舎
拝殿
扁額
拝殿内
社殿西側
幣殿に本殿