正円寺に正円寺古墳 その1正円寺 | 赤城南麓陶遊ロードB

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 前橋市の中心部から少し外れた上毛電鉄赤坂駅の南東約650m、JR両毛線天川大島駅の北北東2.75㎞地点、同市堀之下町155に施無畏山 延命院 正圓寺が築造されています。

宗派     天台宗
御本尊    聖観世音菩薩
札所等    上州七福神霊場(福禄寿尊天)、新上州観音霊場三十三ヶ所(第三十二番札所)
御朱印    庫裡(300円)
 

山号の施無畏山は「無畏を施す」即ち、こころに安らぎを与えることを本誓とする「聖観音」を本尊とすることに由来する。院号の延命院は「子安延命地蔵尊」を古代本尊とすることに由来している。
寺域北の小山は正円寺古墳(堀之下二子塚古墳とも呼ばれる)と呼ばれる前方後円墳があります。この古墳は古墳時代後期の6世紀前半頃のものと推定されています。規模は全長約65m、高さ約7mで竪穴式石室と横穴式石室が確認されています。また、幕末直前頃に盗掘されたらしく副葬品等は皆無であった。遺骨5体が確認されたことから「五霊大明神」と呼ばれたこともあり、明治維新後は神社として扱われた。古墳頂上の後円墳のみ(約80坪)は寺の管理を離れ、大胡神社の所有となった。

参道の東駐車場の北側を東から左側の植込みには石仏が並びます

本堂方向

南からの参道 右寺号票

参道西側の御影石に刻まれた経般若心経 南東から

同上 北東から

参道東側の山家学生式碑

角大師

山門前

山門前東説明

参道の左仏の道西寄り

中間

東寄り

中間からの西の参道方向

山門前西 六地蔵が南向きに東向きが並びます。

水子地蔵に薬師如来 政二年(1820年)の彫。

山門

山門は棟木が萩の木と考えられ「萩の門」の名がある。古来、上泉町以東は大胡城「天文年間(1532-1555)のころに築城された(伝)」の所領時代が長く、また正圓寺も大胡城の鬼門に当たる応昌寺の末寺で、大胡城との関係は深い。元和二年(1616年)にこの地を約25年間治めていた牧野氏が越後に転封され前橋城主の酒井氏の管轄になり、上部構造物が撤去され廃城となった。その大胡城の北門(裏門)が正圓寺に移されたとされる。このような門の型は「薬医門」と言われ、室町時代初期の構造と推定される。平成9年(1997年)に大改修を行った。(正圓寺説明板から)

内側から

本堂

扁額

本堂前西七福神

仰徳(ようとく) 宗祖 伝教大師像