前橋市総社町に築造される方墳の宝塔山古墳北西側の市道を隔てて隣接する天台宗の
お寺秋元山江月院光厳寺。
多くの史料がありますのでほんの概略のみ
光厳寺の創建は、慶長十二年(1607年)、総社城及び城下町をの完成した総社藩初代藩
主秋元長朝が、徳蔵寺(現 前橋市元総社町)の亮應和尚を招いて開山したのが始まりと
されます。また、山号は姓の秋元から、院号は長朝の法名「江月院殿巨岳元誉大居士」か
ら、寺名は長朝の母春の法名「光厳院殿心月等清大姉」からとり、秋元山江月院光厳寺と
名付けられ、秋元家歴代の菩提寺とす。
まえばし 歴史散策ガイドブックから転載
主要地方道前橋伊香保線からの参道入口
東からの唐門(桜門)方向
桜門(文化、1804~1818年、入母屋、銅瓦棒葺、三間一戸、正面唐破風)
内側から
軒彫刻
説明板
唐(桜)門の南長屋門方向
東からの長屋門(天明5年、1785年、入母屋、桟瓦葺)、
門表示の天台宗の教え
境内北方向
西の東向き本堂(文政3年、1820年、入母屋、桟瓦葺、唐破風玄関屋根)
同
庫裡(文化10年、1813、入母屋、桟瓦葺、妻入)
境内南にある袴腰鐘楼北から
南から
梵鐘
水舎
南東から薬医門は江戸時代初期に総社城の城門として建てられ、廃城になった際、移築した。
境内南から