年末からの腰痛がヘルニアだった。いまだに痛い ヘルニアに手術をしなければ行けないかもしれないと言う気持ちが固まりつつある

 

2024年5月

4月は伊勢と白山に行きました。

1泊で長い旅をしてきた気分な旅。本当に価値のある旅だなぁといつも思う。

 

腰がもたないかもしれないと思ったけどなんとか帰って来れたのは色々な奇跡なんだろうなと感謝しつつ。

 

来年はないかもしれないと思い、2回目はもう移動に感動はなかった。伊勢で初めて鰻を食べたけど、まぁ次はやめておこう。食べることは控えたい気分になった。

 

次の週は実家に帰って、

母に見せる姿が私の本当の姿なんだろうな、と思い、冷酷非情な人間プリを晒してきた。

 

そう他人には嫌なことは言わないし、態度も大人の態度をとるけど、母は本音が出るよね。

 

身内は本当に縁があって生まれてきてる、母が死んだら私ら兄弟はまとまりがなくなって会うことはないんだろうなとお思うよね。いつも。

 

実家に帰ることも無くなるんだろうな。と。

 

 

最近読んだ文章に

 

「私ばかり苦労する、損をする、しんどい、辛いことばかり。

 

苦労した人間が一番損だと思っていませんか?⇨一番苦労した人間が一番感動し得をするのです。

 

例えば、掃除を私にやらせて下さいと毎日早く出社、⇨みんなが綺麗、気持ちいいと言う姿を見て

苦労して良かったと思う。あぁ苦労して良かったと感動を感じれる。

 

一番苦労した人が一番感動して得をする。その苦労を買って出る心が一流の人間への道ではないか?

 

 

これを読んだときに、そうだなぁと思った。平々凡々とした生活をしてては、傲慢になっていくし、

 

最下層として謙虚に生きていくことが

平穏な生活をできるなと思ってた。だから謙虚に謙虚にって思っていたけどさ、最近思う、平穏な生活をしてては成長がないのでは?

 

私のダメなところを浮き彫りにして直していくための人生じゃない?

 

けど人と争って凹んで、恥をかかされてという生活が前までよ、だからこんな生活にならないように謙虚にって思ってたけど、

 

人と争うこと自体がまず低レベルな次元だよね、

 

うーむ、今は謙虚に生きてればいいのかな。私の平々凡々な生活を楽しもう。

 

そんな時はもうこないかもしれないものね。

 

苦労は得

これはそう思う。