旧東海道の間宿の岩渕宿(富士川町)で当時食べられていた「栗の粉餅」を現代風に復刻させた創業55年の「ツル家菓子店」東海道の名物に興味のある私にとって行かないわけにはいきません。   
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              薩埵峠
薩埵峠でちょっと姿を現した富士山を見た後お店に向かいました。
駐車場は、店の前の道を挟んだ所に広めのものがあります。
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 外見は、小さい店のように見えますが、店の奥に向かったショーウィンドーには、和菓子や洋菓子が並べられています。その奥に作業所が見られます。                                イメージ 3イメージ 4イメージ 5イメージ 6
  栗の粉餅は、柔らかい大福餅に栗の粉がコーティングしてあり餡と刻まれた栗が餅を引き立て、栗の粉によりかすかに栗の風味が広がります。大福もまずまずの柔らかさで栗と餡が大福を一層美味しくしていました。
  当初は、もち粉で作った大福生地に栗の粉をまぶしただけだそうです。その後、餡に刻んだ栗とマロンエッセンスを加え、それを大福生地にくるみ、栗の粉をまぶした和菓子となったようです。
イメージ 7       栗の粉餅(くりのこもち)1つ 130 
 『栗の粉餅の由来』
●栗の粉餅の起源は、江戸時代東海道の交通が盛んになった頃(江戸時代中頃)に遡ります。そのころの富士川町(岩淵村)は東西を東海道、南北を富士川の水運によって結ぶ、交通の要所として、旅人や舟運の人々で非常に栄えておりました。
●ここを行き交う人々から名代の銘菓として賞味されたのが、「栗の粉餅」で、当時は江戸から三十七里目の一里塚付近の茶店で売られておりました。あばれ富士川を舟で渡る人や荷役で甲州と上り下りする人達に栗の粉餅はお菓子というより、力を与えてくれる、お守りの様なものであったかもしれません。
●はじめは、餅に栗の粉をかけていたと伝えられ、後には黄な粉を用いたといわれ、大正時代まで売られていましたが、東海道の推移や水運の衰退と共に消えてしまったのです。
●この名代の銘菓「栗の粉餅」を再現するため、各地の栗の粉を吟味、精選して、現代風にアレンジし、ようやく当時を髣髴させ、現代に生きる「栗の粉餅」として、ここに蘇らせることができました。
 今後は、多くの皆様にご賞味いただき、江戸時代からの名代を復活すべく一層の努力をいたしてまいります。』(パンフレットより)
 
ヒヨコ ツル家菓子店 (ツルヤカシテン)ヒヨコ 
住所:静岡県富士市中之郷3251
Tel0545-81-0237
交通手段:富士川駅から594m
営業時間:8:0019:00
定休日:火曜日