今の心が「悲しい」なんだと
わたしたちは、どうやって知ったのでしょう。


「目に見える物」と「音」の反復で
言葉を覚えていく。




泣いている幼いわたしに

「どうしたの?悲しいの?」と

言葉をかける母がいて


(そうか、これは「悲しい」なのか…)


と言葉を覚えたのかもしれない。




けれど

涙が流れていなくても
悲しいときがあります。



そんな涙の流れない心を感じたとき

わたしたちは

それが「悲しい」だとわかるのでしょうか?



自分の心のざわつきが
何の感情かわからないときもあるはず。


「悲しくない」
なんて言わないで。


今感じている心のざわつきが
「悲しい」という「言葉」と
つながっていないだけかもしれません。



何十年と生きてきたけれど、まだまだ「言葉」につながっていない心があります。



心のざわつきを「言葉」につなげていく

自分を知るって
そういうことの積み重ねなのだと思います。