父が亡くなって1ヶ月がたった。
今日は母とお墓参りに行ってきた。
生前父が涙を流しながら言っていた 「川を渡れ言いやがる」 って。
そのとき父が言っていた川は実はお墓の近くに流れる川。
その川沿いを通りながら、あの時父が見た川はこの川なのかなぁってふと思った。
そういえば、このブログを書いていてよかったなぁと最近よく思う。
あの日のことがここには残ってて、普通に生活していると忘れてしまってる些細なことがブログを読むことで思い出せるから。
母とブログの話になったんだけど、
実は以前おばあちゃんを看取った時も少しブログに書いていた。
けれどブログを書き始めたのは4年前。
おばあちゃんを看取ったのは5年前。
1年のブランクはあるけれど、今もその日記は残ってる。
今日は、そのときの日記をここに残しておこうと思います。
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2003年11月27日(Thu)17時40分 |
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延命治療 |
今日は夜勤明け。
仕事の最中なぜか入所者のあるおじいちゃんのことが気になって仕方なく、家に帰っても頭から離れなかった。
2ヶ月前、そのおじいちゃんが入院した。
この間、病院へお見舞いに行くと、おじいちゃんの容態は変わっていた。
食べ物を口から摂取することができなくなってた。
口から栄養がとれなくなった。
点滴をして栄養を血管に送り込む。
その点滴を自分で抜いてしまうから、ベッドに手を縛られる。
それをとろうとして引っ張るから手首はあざだらけ。
体は骨と皮みたく痩せ細っている。
施設にいたころとは別人に感じられた。
声を掛けても反応なく、ボーッと天井を見ている。
私には手をさすってあげることしかできなかった。
私はただの介護福祉士。
さまざまな家族の形があり思いがある。
私があれこれ言うことではない。 大切な人が生きている。
それだけが生きる希望だったり、大切なひとを失いたくないという気持ち。様々な思いがあって延命治療が施される。
私は昨年祖母を家で看取った。
みんなで決めた。
延命治療はせず、自然に逝かせてあげようって。
だんだん御飯が食べれなくなった。
だんだん点滴が入らなくなった。
そして点滴が外された。
死をまつだけになった。
あれだけ自然に逝かせてあげたいって思ってたのに本当に死を待つだけになった時、凄く恐かった。
そんなの嫌だと思った。
時間が止まって欲しいと強く願った。
そんなある日、おばあちゃんは意識がもうろうとする中、私に「ありがとう」って涙を流しながら言った。
そして次の日おばあちゃんは沢山の人に見守られながら、息を引き取った。
ドラマみたいだった。
全ての治療を止めて5日後の事だった。
お婆ちゃんは生前、私が介護の仕事をするのを嫌っていた。
身分の低い人がする仕事だと。けれど、最後の最後に認めてもらえたような気がした。
延命する気持ち、しない気持ちどちらも愛する人を思う気持ち。
家族の数だけ・人の数だけ形がある。
写真は、おばあちゃんを介護してるときの介護ノート主治医・看護婦・家族間の交換ノート。
おばあちゃんが亡くなってすぐ、死後の処置といわれるものを看護婦さんと一緒にやらせてもらった。
私ははじめてだったので、色々教わりながら、体を拭いたり綿を詰めたりした。
まだあったかかった。すごくやわらかかった。涙でおばあちゃんがみえなかった。
看護婦さんが、
「病院で亡くなった人はこんな顔にはならんよ。家でなくなれるっていうのはほんとに幸せなこと。」
っていった。
私も延命治療をしている人をたくさん見ているけれど、私もおばあちゃんは幸せだったと思う。
以前、こんな話を聞いた。
人間は死期が近くなると、それに備えるために体も色々準備を始める。
その中のひとつ。食べ物を食べたくなくなる。水を飲まなくなる。
それによって脱水症状が起こり、感覚が鈍くなる。
ということは痛みに対しても鈍くなる。
けれど、今は脱水になると、すぐに点滴が施される。
点滴で水分を補えるので、痛みはずっと続く。
だから苦しい。
家族の立場になったとき、いつまでも生きてほしいと願う。
けれど、実際本人の立場に立ったとき、それでいいのかな。
私が本当にその立場に立ったとき、何を思うんだろう。
おじいちゃんを見たとき、とてもつらかった。
目を背けたくなったし、早く逝かせて上げてあげたいって思った。
家族もきっとつらかったんだろうな。
でも、これって病院の考え方にも左右されてしまうと思う。
だからこそ病院選びも大切だとおもう。
もちろん家族の気持ちも!
なんだか日記っぽくないね。
まあ、これが私が今日思ったことだもん。
おばあちゃんへ
おばあちゃんが亡くなって1年がたちました。
最後におばあちゃんからもらったプレゼント
これから一生大事にしていくからね。
本当にありがとう!
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4年前に書いた日記だけど、この頃の私と今の私、少しは成長できてるかな。
おばあちゃんを看取った時は、 「どうしてよその人の介護してるのに、自分のおばあちゃんの介護ができないんだろう」
って、自分の中に葛藤があって、お仕事を休ませてもらって祖母を介護した。
職場に迷惑かけちゃったけど、あの時の選択は間違っていなかったと思う。
お父さんを看取った時、お盆に2週間ほど休みをもらった。
あの時休ませてもらえてほんとに良かったと思う。
あの2週間がなかったらきっと、我が家はパンクしてただろうなって思う。
そして私もパンクしてただろうな。
仕事は大切。
けれど家族も大切。
何が正解なのかは分からないけれど、結果よかったと思う。