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9月9日(土)


8日に、Dr.から日曜までもつかどうかと言われていました。


ちょうど仕事もひと段落し、土日は久しぶりの休み。 


この日の夜は、父の寝ているソファーベッドの横で眠りにつきました。



夜中の2時を過ぎたあたりから、時々父の声が聞こえ目が覚めました。



『トイレ?』  『何か飲む?』



何度たずねても、父は首を振りました。



寝ては起こされ、寝ては起こされ、父の側へ行くけれど、気がついたらそばで眠ってしまい、朝になりました。



8:00 再び父の声で目が覚め、側に行き、声を掛けるけれども、首を横に振るばかり。



父の言いたいことが理解できず、何をしていいのか分からない状態のなか、寝返りすら出来ないはずの父が、



突然横向きになり、起き上がろうと私に手を伸ばしてきました。



私の手を掴んだ瞬間、ものすごい力で父は自力で起き上がりました。



けれど、父と会話が成立しません。



起き上がることは出来たけれど、座位をそのまま保つことが出来ずに後ろへ倒れこみました。



それでも再び起き上がり、今度は立ち上がろうと父はしていました。



さすがに立ち上がることは出来ないまま、私は父の後ろに回り、後ろから父を抱え、しばらく座っていました。



母は市場へ行っていたので不在で、リビングには私と父の二人きり。



1人では対処できないと思い妹に連絡するけれど、眠っているらしく連絡とれず。



お店にいるおばあちゃんにいうわけにも行かず、母が帰ってくるまで1人でどうにかするしかない状況でした。



父を後ろから抱えつつ、



『どこへ行くん?』  『どうしたいん?』  『どうすればいいん?』 



何度父に声を掛けても、返答はなく、そのとき父はかなりの興奮状態にありました。



そんな時、訪問看護婦さんが来てくださいました。



ちょうど9:00をまわったくらいでした。



興奮状態にある父は、私の胸元でそのまま動こうとせず、看護婦さんはそのままの姿で血圧を測定しました。



血圧 54/30mmhg



明らかに普通の状態ではなく、看護婦さんと2人で父をベッドに寝かせました。



横になると、いびきを掻きながら眠り始め、何とか落ち着きました。



看護婦さんからは、家族、親族へ連絡するよういわれました。



もう長くない・・・。 明らかでした。



お昼頃、親戚が家に集まりました。



時々父は目を開けるけれど、まるで父は別世界に行っているようでした。



全く返答がなく、会話すら出来ず、ただ見守るのみの時間。



父の友人も駆けつけてくださいました。。



父の友人が帰るとき、 『またのー。』 と声を掛けたら、父が友人に手を振りました。



結局その手を振ったのが現実に生きる父の最期の姿になったのですが・・・。



その頃から、もう電子血圧計では父の血圧は測定できなくなり、酸素濃度も測定できなくなりました。



13:30 Dr.の往診があり、血圧は68/40 少し血圧が戻っていました。


Drの話では、朝方までもつかどうかとの事。



少しみんな安心し、親戚は家の片付けに入りました。



目の前では朝まで生きられるかどうかの状態の父。



奥の部屋では、そのときに備え部屋を掃除する親戚。



私の中で、父がまだ生きているのに、片づけをする状況が、



必要なことだとは分かっていながら、私たちの変わりにやってくれているのだとは分かっていながら、



父はまだ生きているのに・・・。と思う気持ちと、



けれど、その時は確実に近づいてきているんだという気持ちで、



父が亡くなるそのときまでは絶対に泣かないって決めていたのに、



抑えきれず涙があふれてきました。



気持ちが少し落ち着き、私も少し片づけをしながら父の状態をみまもりつつ・・・。



そうこうしていると、父の呼吸が急に変わりました。



いびきではなく、なんだか変な音を立てながら呼吸をし始めたのです。



足を確認すると、爪にチアノーゼが現れていました。



そして、脱水でへっこんでいたお腹が、再び以前のようにパンパンに膨れていたのです。



足も硬直していて、あれだけ出すことに苦労したガスがよく出るようになり、



ガスの臭気が異常な感じでした。



血圧や、血中酸素が測れないので、父の体に何が起きているのか分かりませんでした。



けれど、私たちにはできることはありません。



ただ、息を引き取るのを静かに見守ることだけ。



体に異常が現れても、だからといって何かするわけじゃありません。



今の状態を受け入れる作業のみ。



けれど、やっぱり不安になって看護婦さんに再び連絡して来てもらうことにしました。



看護婦さんが来てくだり、そのときに備えて、紙おむつをすることにしました。



父のズボンを脱がせて、お尻を見たとき、はっとしました。




下血していたのです。



これまで、肝臓を患っていながら出血がなかったことに胸をなでおろしていたのに、最期の最期になって、



腹部で出血が起こっていたのです。



だから、急にお腹が膨らんでパンパンになり、ガスも異様なにおいだったのです。



急いでDrに連絡し、上からの出血(吐血)も視野に入れながら、覚悟しました。



血圧が低い状態での出血は命に関わります。



この出血で、父は亡くなることが予想されました。



先生は、父に沈静のお薬を注射してくれました。



この薬で、父は楽になれる。



そういうお薬でした。



父の脈は注射をしてすぐに触れなくなり、みんなで周りを囲んでその時を待ちました。



呼吸がだんだん小さくなっていき、誰もがこのまま息が引けるのを確信していました。



しかし、一向に息が引けません。



耳元で、私は父に 『もう頑張らなくていいんだよ』って何度も言っていました。



しばらくして、血圧を測ると、上が60くらいに上がっていました。



父が息を吹き返したのです。



それを確認して、先生rは、一度病院に帰られました。



次に先生に連絡する時は、呼吸が止まった時。



あとは家族だけで過ごしてくださいって看護婦さんもひとまずその場から帰られました。



そこから4時間くらい経過した頃、



父の脈が左手で触れなくなりました。



右手ではまだ触れていました。



家族、親族にそのことをつたえ、みんなでお父さんを囲んで見守っていました。



呼吸の感覚が少しずつあいてきて、何度か止まりました。



胸を少し刺激すると、その刺激で再び呼吸が始まる・・・。



そんなことが4回くらい続いた後、父の呼吸は止まりました。



みんなが、お父さんの側で涙を流している最中、私は必死でお医者さんに連絡しました。



その後、看護婦さんにも連絡をいれ、再び父の元へ戻ると、



父の体は完全に止まっていました。



20:34 家族みんなが見守るなか、静かに息を引き取りました。



父の最期はスーットいけたような気がします。



父は結局何も言わないままに旅立ってしまいました。



その後、看護婦さんと一緒に父の体をキレイに拭いて、詰め物をして、ひげをそり、服をきがえさせました。



体を拭きながら、涙が止まりませんでした。



やっと、楽になれたね。



父の表情は、とても穏やかで、眠っているようでした。



今にも起きてきそうでした。



その表情は、私が生まれて初めてみるんじゃないかって言うくらいおだやかでした。