原田光明さんのブログについてお話しましょう。気功師である原田光明さんは、京都の喫茶店「コヒーハウスメモリー」で気功指導や気功治療を行っています。彼は皆さんに安らぎと安心を提供したいと思っているようです。
さて、原田光明さんのブログには興味深い記事があります。例えば、「菅原道真の飛梅の秘話 (歴史裏話)」や「末期ガンからの奇跡の生還」などがあります。彼は気功を通じて人々の健康と幸福をサポートしているようです。(私のことをAIに聞いてみました) 私はバーコード開発している頃はまさか自分が気功師になるとは思っていなかった自分の先祖【大蔵一族】のルーツを探しているうちに自然に【気功の道真】に入って行った
名古屋の「Andoll」の気功セミナーで起きた【奇跡】 名古屋の洋菓子レストラン「Andoll」で気功セミナーを行うようになったのは数か月前の出来事に遡ります👍
京都の喫茶店「コヒーハウスメモリー」で気功指導を終えて私のお弟子さんと近くの東福寺の庭園へ瞑想に行きました。私達が瞑想している隣に5名の名古屋からの旅行客がいました👍その中の一人Aさんが何をされていますか?と私に尋ねられたので、私は気功師で病を治す仕事をしています。と答えました👍するとAさんが最近持病の心臓病が悪化して手術を受けようと思っています。心臓病は気功で治りますか?と言われたので私はその場でAさんに二分間くらいの気功治療をしてAさんに名刺を渡して別れました👍 数日後、Aさんから私に【持病の心臓病が治りました。もう手術の必要はないそうです】との電話があり、私が経営している洋菓子レストラン「Andoll」で気功セミナーを開きませんか?
と言われたので、私も是非お願いしますと答えて洋菓子レストラン「Andoll」で気功セミナーを開くことになりました👍名古屋の洋菓子レストラン「Andoll」で行った気功セミナーにはAさんから三十名の常連客を集めて頂いて、その年に三回気功セミナーを行いました。 名古屋の洋菓子レストラン「Andoll」で行った気功セミナーに参加された方々から次々と私の方へ「喜ばしい知らせ」が入ってきました👍 親戚の人が私の遠隔気功で危篤状態から意識が戻り安定した状態になりました。娘の風邪が治りました。吐血して入院した母が元気になりました。子供の状態が良くなりました。などあげたら切りがありません。「宇宙の意思」に感謝いたします。私の気が写っている集合写真
人生の目的(ダルマ)の法則 (第七の成功の法則)。キリストも卑弥呼も空海も菅原道真も安倍晴明も気功師だった 気功で「戦争」や「いじめや」や「病気」の無い世界へ 「人生の目的の法則」はサンクリット語で「ダルマ」の法則と呼ばれています。「人生の目的の法則」は、宇宙(=神)が私たちにある目的を果たすために物質化(人間化)したものといわれています。
【気功が宗教に変わった時戦争が始まった】気功の世界では世の中にはいろいろな考え方があり、その全てを認めるのに対して宗教は一つの考え方の人々が集まって他の集団と対立する。これでは戦争になることは眼に見えています👍宇宙の純粋な可能性の場とは、本質的には神性で、宇宙(=神)が人という形をとって目的を果たしているのです。すなわち宗教が神が外にあるとしているのに対し、気功では自分の内にも神があるとしています。気功と宗教との根本的な違いはここにあります。私はキリストも釈迦も空海もみんな宇宙である神を敬い一気功師として活動して多くの人々を救っていたと思います。宗教とは後にその後継者たちがそれぞれを神や仏として祭ったにしかすぎないと思っています。だから今、生を受けている世界中のすべての人が宇宙の一部であり、神の一部ですべてが繋がっているのです。だから他人に害を加えればいずれは自分自身に害を加えることになります。その真実を世界中の人々が知れば、宗教戦争やそれ以外の戦争もこの世から無くなるでしょう。
気功で「戦争」や「いじめや」や「病気」の無い世界へ 先日、京都の喫茶メモリーで私の気功指導をうけられた方は、静岡から新幹線で見えた二人ずれの方と京都市内から見えた方でした。静岡から見えたひとりのかたが私に次のような質問をされました。「原田さんの気功に掛ける夢は何ですか?」それに対して私は次のように答えました。気功で「戦争」や「いじめや」や「病気」の無い世界を作ることです。今、ロシアとウクライナの間に解決策の無い緊迫状態が続いていますが、この原因を作り出したのは何か? 冷静に考えて見てください。それはそれぞれの国のトツプが子供の時に受けた学校教育にあります。学校教育では今も昔もいつも成績がトツプになるような教育をします。しかしよく考えてみてください。50人のクラスではトツプになれるは、ただ一人です。残りの49人は負け組です。負け組になった人たちには不満足が残ります。その中には恨みをもつ人も現れてきます。このような学校教育のもとで、「いじめ」を無くすことが出来ないのは当た前のことです。ひいては子供の時に作られた「潜在意識」が戦争へ発展する危険性があるのです。 気功の中の「カルマの法則」では、「誰かを傷つければ必ず後に自分に跳ね返って自分自身が傷つくことになる」という宇宙の法則があります。このことを子供の時に教えていれば、恐ろしくて誰も「いじめ」をしようとは思わない筈です。まして大人になって戦争をおこすなどバカげた考えは持たないはずです。「病気」についても同じようなことがいえます。 人は自分を孤立した存在と考え、「それ以外の人」と対立し、数限りない人々が、自分と同じものを欲しがっているため、戦わない限り、それは自分のものにならないと考えているからです。暴力とは、「私たち」対「彼ら」という図式から成り立ちます。「彼ら」は決していなくなることはなく、「彼ら」があきらめることも決してありません。世界中で、あなたと私が別々に利益を追求する限り、暴力のスバイラルは永遠に続くことでしょう。この敵を自分の中で作るというスパイラルは、身体にも恐ろしい影響を与えます。健康的な身体では、すべての細胞が別の細胞の中に互いを見いだし連携しています。各細胞はそれぞれが大きな存在の一部分です。この認識が崩れ、いくつかの細胞が「他の細胞」に変わったとき、身体は自分で自分を攻撃し始めます。この状態は「自己免疫性疾患」と呼ばれ、これが病気の原因となっているのです。病気は自分の体内で細胞戦争が発生している状態です。自己対自己の対立は完璧に誤った概念に基づており、いくら医学技術が発達しても、最初の間違った概念である「自己免疫疾患」を正すことなしに、病気を完全に治すことはできません。 宇宙(神)の考え方の根本においては「私」対「彼ら」という対立は成り立ちません。宇宙(神)のもとで私たちは、重要なことを成し遂げるために生まれてきたのです。それは宇宙(神)のもとで「気功で現実を創造する」ということです。学校教育で「国語」「算数」を教えることは大切なことですが、それ以上に大切なことは学校教育の中に「気功」を取り入れることです。
テロや悲惨な事件やウクライナ戦争がいつまで経っも終わらない原因もそこ【偽善者の国家支配】にあります。 ゼネンスキー大統領は皆さんの目には「正義の味方」のように見えますが、プーチンを批判する映画を作った時点でプーチンと同じ「偽善者」なのです。
朝鮮の【南北戦争】を終わらせた戦曇によって作られたキリストの姿
裁かない(価値判断をしない)こと。 金環日食の日に私の家の上空に突然あらわれたマザーテレサとヒットラーの横顔(写真)。
6月22日(土) 京都で「気功指導」と「気功治療」を実施します。
6月22日(土) 時間 午後1時 ~ 午後3時
場所は京都東福寺駅前のファミリーマートの前の道を南へ(右へ)七分ほど歩いたところにある喫茶「メモリー」TEL 075 551 3567で行います。 料金は気功指導五千円、気功治療は五千円です。両方受けられる方は一万円です。参加が二回目以上の方は気功指導と気功治療両方受けられても五千円です。 参加希望の方は私の携帯TEL 090 8797 5850 の方へ連絡お願いします。
気持ちは常に穏やかで優しく、
身体を若々しく年齢を忘れて、毎日パワフルに過ごしたい方へ。
氣功を通じて、魂と心と身体の調和を実現します。
心身ともに鍛錬することにより、健康な精神と肉体を取り戻します。 このセミナーでは、たった2時間で若返りを実現する為の氣功の魅力をお届けします。
氣功という言葉自体がよく分からないという初心者の方も大歓迎です。
全国人気ブログランキングで総合ランキング187位にランクイン感謝
私が遠隔気功を送って元気になられた方には角さんや財津和夫さんや水泳の池江璃花子選手がいます👍池江璃花子選手は咲日の大会でパリオリンピックの日本代表選手に選ばれて本当に良かったです👍
モリリンに入社後、大病を煩い窓際族になった男が【物流】に目覚め【バーコード開発】した逆転人生
私はモリリン(株)大阪支店に入社後、血尿が続く原因不明の病にかかり、新入社員でありながら、いきなり窓際族になってしまいました。出社しても、まともな仕事は与えてもらえず、会社の窓ぎわで簡単な仕事をしながら、暇つぶしに読者ばかりしているサラリーマンでした👍そのような生活を三年間も続けていました。ある日、昼休みに会社の近くに本屋に立寄った時、一冊の本が目に止まりました👍 その本の題名は【物流】でした。著者は現在も物流の世界で活躍されています湯浅和夫さんです。その本を買い会社に帰って読んでいるうちに、益々【物流】に対して関心が高まり、当時東京の日本通運総合研究所に在籍されていた湯浅和夫さんに電話をして私がお会いしたいと言うと、「いいですよ」と言われました👍
会社に出張願いを出して翌日、湯浅和夫さんにお会いして一時間余り物流のお話を聞きました👍
東京から会社に戻り、当時モリリン(株)大阪支店の支店長をされていた
近藤支店長にモリリンに【物流部門】を設けて頂けるように直訴しました。近藤支店長は以前、学校の先生されていた方で人の意見をよく聞かれて判断される人でした👍モリリン(株)大阪支店でも【物流サービス部門】が設けられることになり、後に私の【バーコード開発】に繋がっていくことになります。物流の仕事に熱中しているうちに原因不明の病も完治していました。
日本の【バーコード開発】が世界中の文化を動かした👍【バーコード開発】は私のアパレル物流の仲間と流通システムコードセンターと
(株)サトーと量販店や運送会社が集まって成し遂げた【プロジェクトX】です 私は流通システムコードセンターの浅野理事に【バーコード標準化案】を手紙に書いて送りました
浅野理事は私の熱意に打たれて心斎橋のホテルに開発するメンバーが集まることになる【この時歴史は動く】 私のもとで(バーコード開発に協力されたメンバー(敬称略)
流通システムコードセンター(黒田、坂本)サトー(白石)イズミヤ(山本)大阪アパレル物流連絡会(杉井、角田、井上、西口、吉田)企業としてジャスコ、イズミヤ、ダイエー、東急ストア、デサント、アシツクス、ミズノ、内田洋行、日本ユニシス、日本通運、佐川急便、福山通運、ムトウ、サトー、オカベマーキングシステム、野崎印刷紙業、住友電気工業
等
【バーコード開発】が行われていなかったら今の【携帯文化】や【通販文化】は存在していません
今の孫さんも前澤さんも世に出ていなかったことになります
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”バーコード誕生秘話”私がサラリーマン(モリリン)時代に開発した「バーコード」が後に日本の「通販文化」や「携帯電話文化」に繋がっていくとは夢にも思いませんでした。私と「バーコード」をベルギーから日本に持ちこんだ(財)流通通システムコードセンターの浅野恭右さんとの出会いは1980年の原辰徳をドラフト会議で巨人が引き当てた日でした。それから私のモリリンのサラリーマンとバーコード開発者との2足のわらじの時代が始まりました。モリリンには私がバーコードを開発していることをずっと秘密にしていました。しかしバーコードの開発が成功したらモリリンの通販会社との販売拡大に役立つとの思いは強く持っていました
バーコードのマニュアル本の取引先番号456789は私が勤めていた会社【モリリン】の番号です
私が開発した「バーコード」の成果により 私が以前勤めていた会社モリリンの羽毛布団が通販会社ジャパネットたかたを通して145万枚(140億)の売上を達成しました👍
【バーコード標準化】の時代背景
流通業界では消費者ニーズの【多品種少量生産】いわゆるジャストインタイムの配送が普及してきていた。このため、大手小売業界では、物流の効率化を目指して、検品・検収作業の集約化や店舗への一括配送のため、流通(物流)センターを新増設する企業が増えてきていた。 企業では、人手不足やローコストオペレーション実現のため、流通(物流)センターに自動仕分け、検品装置システムを導入し、小売業界ではレジの効率化を急いでいたので【バーコード標準化】は必要不可欠なもであったが、日本のどこにもそれを実現する機関や組織がなかった👍
私は大阪にある繊維商社のモリリン㈱に入社し定年までこの会社で勤務しました。モリリン㈱の羽毛布団は今、通販会社【ジャパンネットたかた】のテレビコマーシャルで毎日放送されていますので、皆さんもモリリン㈱の名前を耳にされている方が多いと思います。
私は会社では主に物流の開発の仕事をしていましたので、将来皆に喜ばれるようなものを開発してみたいとは常々思っていました。その頃、ベルギーから日本にバーコードを持ち込んだ流通システム開発センターの浅野恭右さんと知り合いになり、たびたび東京に赴きバーコードの研究をしていました。そのうち浅野さんから才能を認められ、モリリンをやめて流通システム開発センターの研究員にならないかと何度も説得されました。私はモリリンでまだやることがありますと言って断りました。そうしたら浅野さんが資金はどれだけでも出すから原田君がやりたいことがあったら、やらしてあげるよ言ってくれました。その時、私にひらめいたのが「物流バーコードの標準化」でした。今では「物流バーコード」は昔の手書きの送り状に変わって世界中で使用されていますが、これを誰が考えたかは誰も知りません。それは私が物流バーコードの開発資金をすべて流通システム開発センターに出してもらったので、私の特許の登録ができなかったからです。この物流バーコードは通販業界でもあっというまに広まり、通販業界は好景気となり、通販業界と取引が多かった当社も売り上げを急激に増やすことができました。私は私が生み出した「物流バーコード」が世界中に普及していく姿を見てこの上ない幸福感と喜びを覚え、人間の能力の限り無いことに感動を覚えました。この感動がそれから1年後の私と気功との出会いに繋がったと今でも思っています。
私が開発した【バーコード】をさらに改良した【QRコード】を開発された原昌宏さんが恩賜賞を受賞されましたおめでとうございます
天皇、皇后両陛下は今年、東京・上野で開かれた日本学士院第113回授賞式に出席された。受賞者は11人で、QRコードを開発したデンソーウェーブ主席技師の原昌宏さん(65)には恩賜賞も贈られた。式後、両陛下は原さんと懇談。天皇陛下は「QRコードの開発で大変便利になりました」と語り、皇后さまは「どれだけの情報が入るのですか」と質問された。原さんから利用について尋ねられると、陛下は「もちろん使っております」と答えられています
奇跡を起した【ゼロ地場意賀美神社】に御礼参りしました。意賀美神社梅園には紅梅が咲いていました 枚方市の【ゼロ地場意賀美神社】で起きた奇跡「奇跡は起こるものではなくて、起こすものです」顔全体が赤く吹き出物が出る原因不明の病の人が私の2分間の気功治療で完治
去年の10月20日友人の誘いで枚方市の【ゼロ地場意賀美神社】に行って来ました
ゼロ磁場というとまず頭に浮かぶのが長野県伊那市にある分杭峠(ぶんぐいとうげ)ではないでしょうか。他にも伊勢神宮や高野山、諏訪神社など多くの方が訪れるパワースポットがあげられますが、もっと身近な大阪にもゼロ磁場のパワースポットが存在するんです。
それは、大阪の枚方市にある意賀美神社(おかみじんじゃ)なんです。宮司さんのお話では、最近方位磁石を持って訪れる方が増えているそうです。
実際に行って磁石の針が動く様子を見ると、とても驚きますよ。
私が一緒に行っていたグループの人も磁石の針がぐるぐる回転するのに驚いていました👍私たちグループ以外に50代の一人の女性が参拝されていました。私が彼女の顔を見たら麻疹のように顔全体が赤く吹き出物があちこちに出ていて、あまりにも痛々しい姿だったので私が気功師であることを彼女に説明してその場で2分間の気功治療を行いました。私は京都で気功治療を行っているので彼女にもしよろしければ私のブログ記事を見て来てくださいと伝えてライン交換して彼女とは別れました。11月7日(火) 京都の喫茶メモリーで私の気功指導と気功治療を受けられた4名の方は静岡から見えた1名の方と近畿地区から見えた3名の方でした👍その中で京都から見えたYさんは10月20日に私が枚方市のゼロ地場【意賀美神社】で参拝しているとき一緒になった人でした。私が彼女の顔を見たら麻疹のように顔全体が赤く吹き出物があちこちに出ていて、あまりにも痛々しい姿だったので私が気功師であることを彼女に説明してその場で2分間の気功治療を行った人でした👍Yさんが今日私の気功指導と気功治療を受けに見えた時なんと彼女の原因不明の病は完治していたのです。その時は目の状態も悪く、あまりものが見にくい状態でしたが、今はよく見えるようになったそうです👍そればかりでなく、私の【雲消しのブログ記事】を読んでいたら【雲消し】も出来るようになったそうです👍
【想い出の宿】大ヒツトの予感【ユーチューブ歌手時代の到来】 私が歌っている【想い出の宿】大ヒットの予感マスコミ関係の方からも問い合わせがありました
ユーチューブ視聴8900回突破ありがとうございます
原田光明の「ユーチューブ歌謡ライブ」公式ジャンル記事ランキング:
その他職業で全国 95位
【想い出の宿】東日本大震災で亡くなった愛する人を忍んで何度も二人で訪れた鳴門峡谷へ今一人で来ています。鳴子温泉観光テーマ曲です。続編として作られた【鳴子峡】も只今ヒット中です
私が 唄っている 【想い出の宿】は 東日本応援ソング です👍 【鳴子温泉】観光テーマ曲です🎵女優の山本美月さんにも聴いていただきました👍私は大学生の時まで歌手になりたいと思っていましたが大学3年の時、ゼミで同じクラスになった財津和夫さんの歌を教室で聴いて歌手になることを諦めました。しかし44年ぶりに西南学院大学同窓会で財津和夫さんと再会した時に再び歌手になりたい気持ちが自分の中で湧き上がってきました👍今は【想い出の宿】でユーチューブ歌手として再スタートを切りたいと思っています
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奇跡を見た
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先月24日に大阪から、原田先生が今治に来て下さった。
原田光明先生は、俗に言う氣功師である。
スピリチュアルの世界では有名な方で
さっそくFAラジオバリバリにゲストとして、出演されて
聞いた方も多いと思うが、
江戸時代の話や人としての生き方など
興味をそそる話をラジオで語って下さっていた。
番組の進行は、スマイルプレゼンター貴さん。
この方にもいつも元気を頂いている。
しかし、先生の話す言葉をよくよく聞くと、
1つ1つが理にかなっており、自然界の法則の入口を感じさせて下さった。
又、先生が今治に来ていると言うのを噂で耳にした人が、
夕方も夜の食事の時も
次の日も先生に会いに来られ、
次々と氣を送ってもらっていた。
信じる 信じないの それぞれ個人の考えもあろうが、
骨折して背中が曲がったままで痛かった女性が
ものの15分 氣を当てるだけで真っ直ぐに背中が伸び
身長も3~4cm高くなったり、膝が痛くてあまり動けない女性が、
5分くらいでもう普通に跳んだりハネたりするのを目の当たりにすると、
ビックリを通り越して、体中が震えだすし、
感動する。
治った人が次々と人に伝えるモノだから、
結局20人くらいの方に次々と会われ、
氣を送り続けられた。
翌日は我が社にも少しの時間だが
きていただき、スタッフ全員に氣功入門の手ほどきを受けた。
目の前で次々と奇跡を見ると
もう体中が震えたのを今でも思い出す。
やはり世の中には、本物もいてるのだと思った。
たぶん、
この世界、見える世界でないので
“ニセモノ”が多くいてると思うし、
人を催眠的に誘導したり、
強迫観念をうえつけたり、
最終的に高い高い壷や鏡や水晶や
ブレスレットを買わされたり、
何かの申し込みにサインさせられたり、
グループや会に入れられたりするのを耳にするが、
何も無いのは、やっぱり本物だ。
そんな体験をした。
原田先生、ありがとうございました