「甲府城 その6 目的」でも書きましたが豊臣秀吉がここに城を建てた時の目的は関東に移封した徳川家康を監視するためと言われています。そして徳川軍がもし攻めてきたらここは陣地なので守りを固めた城でした。今日はその事を書きます。

 まず徳川軍が来るとしたら多分今の甲州街道を使ってくる可能性が高いので大きな曲がり角を城東(金手や善光寺界隈)に作ったので現在も残っています。城の東側の石垣は東日本1という17m石垣こそあれ門はありません。もちろん石垣の下は堀でした。門は南、西、北にはありますが東にはない。また大手門から入ると本丸への道のりには幾つかの門があり坂下門や中の門あたりでは虎口となり曲がらせる。数寄屋曲輪から稲荷曲輪の門は狭くて登りにくい階段。ましてや人質曲輪ときたら行き止まり。これが防御です。

 それに加え清水曲輪には井戸があり水が湧いてました。今のJR身延線のホームあたりは花畑とありますが野菜が作れた場所。それに米倉に米を蓄えておけば籠城も心強かった。こんな城なんですね。

 でも戦にはならなくてよかったです。